日本共産党 参議院議員 党副委員長
山下よしき

活動レポート

日本共産党常任活動家追悼式で追悼のあいさつ 新たに211人を合葬 弾圧に倒れた女性4人も

2023年10月21日
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(写真)黙とうする参列者=21日、東京都八王子市

全国の日本共産党常任活動家を合葬する第38回合葬追悼式が21日、東京都八王子市の上川霊園で行われました。『日本共産党の百年』で紹介された4人の女性党員(伊藤千代子、高島満兎、田中サガヨ、飯島喜美)を含め、211人が合葬されました。合葬者は計5293人となりました。

雲間から日差しが照りつける中、「同志は倒れぬ」のBGMが流れて開式。岩井鐵也・「日本共産党常任活動家の墓」合葬委員会副責任者が司会を務め、広井暢子・同責任者が今回の合葬者211人全員の氏名を紹介しました。

合葬者の氏名と死亡年月日、年齢が銘板に刻まれ、これまでと同様に墓に納められます。

合葬委員と関係者で黙とう後、山下芳生副委員長が党中央委員会を代表して追悼のあいさつ。『百年』史にふれつつ、「無数の先人たちの開拓と苦闘のうえに、今日の日本共産党があることを、決して忘れません」と述べました。(あいさつ全文は後日掲載)

遺族を代表し2人があいさつ。故宗形孝至さん(元神奈川県委員、元旧南横浜地区委員長)の妻・宗形麻子さんは、「夫は職場の不当解雇をたたかうなかで専従者の道を選び、献身的に活動してきました」と強調。「これからも仲間とともに故人の遺志を継いでいきたい」と語りました。

故柳河瀬精さん(元大阪府議、元大阪府委員)の長女・杉本和さんは、国民の苦難軽減と誰もが安心して暮らせる社会の実現に向けて「父が4期16年にわたり府議をまっとうできたのは、パートナーや地域の党員に支えられてきたからです」と話しました。

参列者全員が墓前に献花し、合葬された人たちを追悼しました。

遺族には後日、合葬追悼式の様子などが収録されたDVDが届けられる予定です。

東京都八王子市の上川霊園で21日にあった「日本共産党常任活動家の墓」第38回合葬追悼式で、山下芳生副委員長が行ったあいさつは次の通りです。


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(写真)あいさつする山下芳生副委員長=21日、東京都八王子市

「日本共産党常任活動家の墓」合葬追悼式にあたり、中央委員会を代表してあいさつを行います。

合葬追悼式は今年で38回目を迎えます。全国の専従活動家や議員の方々の共同の墓地として、1986年に建立されて以来、今日までに合葬された同志は5293人となりました。

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 先ほど、あらたに合葬された211人のお名前が紹介されました。北海道から沖縄まで、全国各地で日本共産党の旗をかかげ、それぞれの任務と役割は違っても、国民、住民の苦難軽減のために、献身的にたたかい続けてこられたお一人お一人の生涯に、深い敬意と感謝をささげます。

私たちは7月に、党史『日本共産党の百年』を発表しました。『百年』史には、わが党が、古い政治にしがみつく勢力から、つねにさまざまな非難や攻撃にさらされ、それを打ち破りながら、自らの路線、理論、運動、組織の成長をはかっていく、生きた攻防と成長のプロセスが明らかにされています。

日本共産党の歴史には、順風満帆な時期、たんたんと成長した時期はひと時としてありません。つねにさまざまな迫害や攻撃に抗しながら、自らを鍛え、成長させ、新たな時代を開く―まさに「階級闘争の弁証法」「政治対決の弁証法」というべき開拓と苦闘の100年でした。

きょう合葬された211人お一人お一人の党員としての人生も、こうした開拓と苦闘の100年の一部をなすものであったことに、重ねて敬意と感謝を申し上げます。

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 今回の合葬追悼式にあたり、『百年』史で、その不屈の生涯が紹介された、飯島喜美、高島満兎、田中サガヨ、伊藤千代子の4人の女性共産党員を、あらたに共同墓地に合葬することとしました。4人が活動したのは、女性が、絶対主義的天皇制によって徹底的な支配と従属、無権利状態におかれ、独立した人格が認められず、参政権もなく、政党加入も禁じられていた時代でした。この時代に、女性が入党し活動した、ただ一つの政党が日本共産党でした。

侵略戦争に反対し、国民主権をかかげ、女性差別に反対してたたかった、それゆえに特高警察によって検挙され、拷問され、健康を破壊され、いずれも24歳の若さで生涯を終えることとなった、4人の女性党員たちの困難に毅然(きぜん)として立ち向かった不屈のたたかいは、いまを生きる私たちに深い激励と勇気を与えてくれます。

この墓地には、小林多喜二、野呂栄太郎、市川正一など、戦前の弾圧に倒れた同志たちへの哀悼の意を表し、第2回合葬追悼式で銘板にその名前を刻んで納めています。

私たちは、こうした無数の先人たちの開拓と苦闘のうえに、今日の日本共産党があることを、決して忘れることはありません。そして、先人たちが命がけで貫いた反戦平和と国民主権を求めるたたかいは、ひとり日本共産党にとっての誇りであるだけでなく、日本の歴史全体にとって意義あるたたかいであり、日本によって侵略され植民地支配されたアジア各国の人々との“友好の懸け橋”ともなるたたかいであったことに、不動の確信を持って進みたいと思います。

全国各地には、弾圧の犠牲になった共産党員が、発掘されずに埋もれていることもあります。これからも、戦前、専従者として不屈に党の活動にかかわってきた党員を、共同墓地に合葬していきたいと考えています。

今回合葬された方のなかには100歳になる同志が3人います。

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 これらの同志のなかには、戦後、旧ソ連や中国などからの干渉によって党が分裂した「五〇年問題」の苦難を経験し、その総括のなかから、わが党が「自主独立」の路線―相手がどんな大国でも言いなりにならず日本の針路は自分で決めるという路線を確立する過程にかかわった方もあるでしょう。

また、わが党が綱領路線を確立するための激しい全党討論に参加し、1961年、国民多数の合意で異常な「アメリカ言いなり」「財界中心」の政治を根本からただす民主主義革命を行い、さらに国民多数の合意で社会主義に進むという大方針―綱領を全会一致で採択する過程にかかわった方もあるでしょう。

外国からの干渉と党分裂という、わが党の最大の危機を克服し、未来ある路線をうちたてた、この時期の先人たちにもまた、心からの敬意と感謝の言葉をささげたいと思います。

今回合葬された多くは、61年綱領確定後の3回にわたる国政選挙での党躍進をきりひらいてきた方々です。わが党が躍進するたびに、支配勢力は、集中的な反共攻撃と政界再編で、党の前進を阻もうとしてきました。1980年代の日本共産党を除く「オール与党」の体制づくりとのたたかい、2000年代の「自民か、民主か」の「政権選択選挙」おしつけとのたたかいなど、わが党にとっては文字通り試練の連続でした。

しかし、試練の間にも、わが党は、2004年に綱領を改定し、わが党がめざす社会主義・共産主義の社会について、「人間の自由で全面的な発展」というマルクス、エンゲルスの未来社会論の真の輝きを発掘し、綱領の根幹にすえるなど、あらたな成長と発展の努力を続けました。

こうした全党の不屈の努力が、2010年代の「第三の躍進」に実り、「市民と野党の共闘」という党の歴史でもかつてない挑戦に踏み出すことにつながったのです。

今回合葬された方の多くは、その激動の渦中で専従者や議員として奮闘されてきたみなさんであり、戦前とは違ったかたちの不屈性が求められる日々だったと思います。みなさんが現在の党の土台を築いてこられたことに、心から感謝を申し上げます。

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 100年の歴史につづく、新しい党史の一歩が始まっています。

いま日本は内政でも外交でも、岸田政権の行き詰まりが深刻になり、国民のなかで政治への不信と怒りが渦巻いています。日本の政治の二つのゆがみを「もとから変える」日本共産党の躍進で、国民が希望のもてる新しい政治を実現することが、そして、そのために強く大きな党をつくることが痛切に求められています。

わが党は、100年にわたる先人たちの苦闘と開拓によって、世界的にもまれな理論的・政治的発展をかちとってきました。組織的にも時代に即した成長と発展のための努力を続けてきました。しかし、党建設においては、全党による奮闘が続けられてきたものの、党は1980年代から90年代以降、長期にわたる党勢の後退から前進に転じることに成功していません。

私たちはいま、来年の1月15日から開催する「第29回党大会成功、総選挙躍進をめざす党勢拡大・世代的継承の大運動」を全支部、全党員の参加する運動に発展させ、「130%の党」づくりの目標を達成しようと奮闘しているところです。

先人たちの開拓と苦闘の歴史を、強く大きな党づくりでこそ引き継ぎ、発展させて、党大会を成功させる決意です。どうか、私たちの努力と挑戦を見ていてください。

最後に、合葬された故人と喜びも苦労もともにされ、山あり、谷ありの道のりを歩んでこられたご家族のみなさんにあらためて感謝を申し上げます。

ご遺族のみなさんが健康に留意され、お元気で過ごされることを心から願って、追悼のあいさつとします。