いつも、励ましのメールをいただく京都のIさんから、お葬式にかかわるクイズをいただきました。「お葬式クイズ」、大変面白く、ためになりました。以下ご紹介いたします。
お葬式クイズ2006。 (※キリスト教では葬式といわないそうですが)
正しいと思うものに○、間違いだと思うものに×をつけてください。(正解は別項)
@:お悔やみの不祝儀袋の表書きは『御霊前』にしておけば、宗派にかかわらず無難である。
A:弔電の言葉は、『謹んでご冥福をお祈りします』が、宗派にかかわらず無難である。
B:香典袋の表書きは、筆ペンでも『薄墨色』を使うのがマナーである。
C:位牌がないのに仏壇を買うのは、誰か亡くなるのを待つことになり、失礼にあたる。
D:『友引』の日に葬式を避けるのは、仏教の考えから来ている。
E:遺骨は、許可を得て『散骨』をするのでなければ、必ず埋葬しなくてはならない。
F:仏式では、『喪中』の期間は1年で、『忌中』の期間は49日である
【正解】
(※市販の「マナー本」は参考になりません。著者の主観で根拠が乏しい)
お葬式クイズ2006答え。
「 @〜Fまですべて×。」
【解説】
@Aいずれも、共通ではない。たとえば、浄土真宗では、亡くなった人は即往生で極楽へ。キリスト教では神に召されて天国にいらっしゃることになっている。
『霊』の状態で『冥土(暗黒の世界)』をさまようのを前提とする『ご霊前』や『ご冥福』は、失礼なことになるのでご注意。
(浄土真宗は『御仏前』。キリスト教は『御花料』など。仏教は一般に『御香典』で可)
弔辞は『謹んでお悔やみ申し上げます』『哀悼の意を表します』などが「一般用語」。
(『安らかに眠る』はキリスト教。『泉下の人…』は神道の用語。)
B薄墨には、『涙で墨が薄まってしまいました』、あるいは『ゆっくり墨を刷る暇がありませんでした』という意味があるが、市販の筆ペンやサインペンは初めから黒いのだから、薄墨色にする意味がない。(わざわざ『薄墨色の筆ペン』を準備するほうが失礼な話)
Cそもそも、仏壇は位牌を置くためのものでなく、『ご本尊』を置く場所。亡くなった方があるかどうかは関係なし。仏教徒であれば日頃からあるのが当たり前。仏教徒でなければ不要。位牌を真ん中に置いてご本尊が隠れるようなお仏壇が時々ありますが、これはまちがい。
(ちなみに位牌はもともと仏教の習慣でなく、他の仏教国では使われない。)
なお、『戒名』というのは(浄土真宗の『法名』、カトリックの『クリスチャンネーム』なども)死んだ人に付けられるものでなく、信徒さんとして生前に頂くのが本来。(葬儀業者の紹介の坊さん〜時々「こいつ本物か?」と疑うこともあります〜より、ちゃんとお付き合いのある寺院・教会や本山に頂くのが正解でしょう。)
D『友引』や『仏滅』などの『六曜』は、中国の『三国志』の時代に諸葛孔明が戦争の占いに使ったもの。『共に兵を引く=共引』であって、『友を引く』意味はない。(『仏滅』は『物滅』で、仏さんには関係なし)
火葬場が「友引」休業しているので、行政が強制的に迷信を定着させている結果になっています。(大阪や福岡は「友引」休業してない) もともと、地域で土葬の時代にはなかった習慣が、葬儀業者が「ぬけがけ」をふせぐための協定で始まったものと思われます。
E『埋葬許可』がないと勝手に埋葬はできないが、埋葬も納骨もせずに【自宅に置いておく】のは自由。なお、「散骨」は、埋葬法の規定で自由にはできない。(司法の許可をとっても行政の許可が出ないこともある)
F『喪中』は、死をケガレとする神道の習慣であって、仏教にはない。戦前には法律で『服喪期間(親の場合で最長13ヵ月)』が定められていたが、戦後は廃止。
『けがれた者』が神聖な神様の前に行くのはまずいから、神社や、神棚のある家(戦前は殆ど強制)に行くなという意味。
新年をどう迎えるかはそれぞれ各自の自由ですが、自分の考えもなしに『喪中につき』という、「きまり」に従う立場の欠礼状は、時代に逆行したもの。
(なお、浄土真宗では『即往生』なので49日の忌中期間もなし。もちろんキリスト教にもない。)
★さいきん、「無宗教」のお葬式や「合同墓」の話題が「まもる新聞」でもありますが、どうも、宗教にとらわれないのを前提だといいながら、実際は「どこかの宗教の真似をかきあつめ」で行われているような記事があります。(無宗教で「冥福」は祈らんやろ…。「喪中はがき」は何の根拠だ…とつっこみ処が多い)
現代人のほうが「迷信」や「みんな」の影響を受けやすいようです。どこの宗派が偉いわけでも、無宗教が偉いわけでもありませんが、何を根拠にするのかは、その度に考えたいものです。「しきたり」にも意味や歴史があるので、迷信と混同のないよう、勉強したいです。