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Iさんからのメール

2005年12月04日

大阪市長選挙。

正直な話、「新人が70歳ではインパクトがないなあ。」
「どうせ党から出すんなら、山下よしきか宮本たけしのほうが票をとれるんじゃないの?」というのが…話題。「そんなコロコロちがう選挙に出したらあかんやろう」…

まあ、…出戻りなら残りの任期で次の選挙があるからリベンジが早いか・・・。

ちなみに、
大阪市長選挙の投票前日が母親の納骨でした…。

(管理人の都合で短縮させていただきました)


I さんへ

 メールありがとうございました。大阪市長選挙の候補者をめぐる深ーい洞察、恐れ入ります。

 実は大阪では、選挙戦を通じて70歳の姫野浄さんの人気が急上昇したんです。なぜなら、今回の市長選挙はかつてないほどTVの生放送での候補者討論、市民団体などの主催する公開討論が旺盛に行われたのですが、その中での姫野さんの論戦、応答、風格が抜群によかったからです。

 地元の淀川区では、それらを見た支持者から「姫野さんを見直した」という声が一気に湧き起こりました。なかには「淀川で自転車に乗って駆け回ってる姫野さんとは別人みたいや」「これまで姫野さんは力を全部出してなかったんと違うか」という人までありました。

 「やっぱり人間は立場によって変わるんやなあ」という意見もありましたが、私はそうではないと思っています。10期連続当選して35年間市議を務めただけでなく、長年にわたり党大阪市会議員団の団長だった姫野さんは、もともとそういう人物であり政治家だったのです。

 私がそう言い切れるのにはワケがあります。95年に初当選して党参議院議員団の一員に加わったときに橋本敦さんの存在感にビックリした経験があるからです。

 橋本さんは当時、党参院国会対策委員長として、議員団の要の役割を果たされていました。本会議前の団会議の仕切りは見事なものでした。上田耕一郎副委員長・参院議員団長から複雑な議会対応を問われても、即座に参院先例集の内容を示し「上田さん、こうですよ」と説明。上田さんも「さすがだね。長年議運(議院運営委員会)にいると、先例が全部頭に入っているんだね」と舌を巻く場面もありました。

 予算委員会での質問や本会議代表質問を誰にやってもらうか判断し、各分野の秘書などでスタッフを組んで質問作りの援助をする、対決法案で緊迫した局面での党の対応を正確に決定する、自民党と対決する一方で二院クラブなどとの共同をすすめる…。まさに橋本さんなしには議員団は回らないといっていい存在であり、他会派からも信頼されていました。

 しかし、こうした橋本さんの国会での大活躍ぶりは、橋本さんの地元である大阪で活動し候補者として大変お世話になった私でさえほとんど知らないことでした。TVに映る予算委員会での質問や地元での活動にくらべて、こうした国対関係の仕事というのはとてもわかりにくいのです。表に出ることはほとんどありませんから。しかし、こうした活動は、地元活動とともに、政治家として議員を鍛え大きくします。

 姫野さんが、大阪市政の問題で何を聞かれても、問題点と現状を踏まえた解決策を即答できる(他の市長候補とはレベルが違いました)のも、「オール与党」市政と一貫して対決してきた党議員団の要としての役割を長年務めてきたからなのす。

 というワケで、大阪市長選挙の候補者は最良最高の人であったというのが私の結論なのでした。

 最後になりましたが、お母様のご冥福をお祈り申し上げます。

山下よしき

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