2006年05月30日
---日本共産党との出合いは?山下 実家は、親が党員という家庭でもなく、日本共産党との接点はありませんでした。ただ、私は「おばあちゃん子」で、おばあちゃんがいつも口癖のように、二つのことをいっていたのをしっかり覚えています。 一つは「人の役に立つ人間になれ」、もう一つは「共産党にはなったらいかん」です。だから、どうしたら人の役に立つ人間になれるか、一生懸命考え、思想的にいろいろとさまよいました。宗教について真剣に考えたこともあります。---もう一つの「共産党になったらいかん」の教えの方は?山下 「人の役に立つ人間」の答えはでないまま、大学に入り、答えをさがすためになんでも挑戦してみよう、という目標を持ちました。自治会のクラス委員に手をあげたのも、その目標があったからです。「民青同盟」に誘われましたが、「民青同盟は共産党の導きを受けるところ」と聞いて、「さようなら」と逃げ帰りました。 先輩たちの姿---その後は?山下 民青同盟は断ったけど、自分で手をあげたんですから、自治会活動は続けたんです。そのうち、民青同盟や共産党の先輩たちが勉強でも活動でも先頭にたっているのが見えてきて、民青同盟に加わりました。 そこで戦前の歴史を学んだんです。天皇の命で戦場に駆り出され死んでいった学生たちの無念の思いを書き残した『きけわだつみのこえ』は、同世代の学生として胸に響きました。その侵略戦争に命がけで反対したのが共産党だったことを知りました。そして、どんな弾圧にも属せず節を守りぬく、この生き方こそ、おばあちゃんのいう「人の役にたつ生き方」だと思い、日本共産党に加わりました。 決してくじ引きのような偶然ではなく、真理の力が共産党にたどりつかせたと確信しています。 田舎に帰ると仏壇に手をあわせて「教えの一つは守りました。もう一つは乗り越えました」といつもおばあちゃんに報告しています。 国民が主人公---その日本共産党について、ひとこと。山下 そうですね。自民党政治のどこがまちがっていて、どんな改革をしたら平和な日本、国民が主人公の日本をつくることができるかを示すことのできる政党だと思いますね。日々のくらしでも商売でも、みんなしんどい思いをしている。なんでこんなにしんどいのか、どうしたらいいのか、それを言えるのは日本共産党しかありません。 みんなそこを知りたがっていると思います。街頭で立ち止まってじっと聞いてくれるのも、その中身を聞きたがっているんだと感じます。 あまりにひどいアメリカいいなり、極端な大企業中心主義といういまの政治のゆがみにメスをいれることなしに、日本社会にまん延する閉塞(へいそく)感をぬぐいさることはできません。そのことはほかのどの政党もいわない。それだけ日本共産党の値打ちが光っていると思います。いっせい地方選、参院選でこの党の議席を増やすためにがんばります。 (おわり)