2006年05月26日
---憲法、教育基本法改悪の動きが急ですが、各地で「九条の会」が広がっています。戦争と平和について思うことがありますか。山下 最近、戦争を身近に感じる出来事がありました。3月に法事で、大阪から車で久しぶりに郷里の香川県善通寺市に、家族で帰ったんです。高槻市に住む妻方の叔父夫婦も一緒でした。もう長いつきあいで、私たちが結婚した当初も、いろいろと面倒をみてくれた人です。 瀬戸大橋を渡るころ、叔父が「私の実家の墓参りにつきあってくれませんか」というんです。「いいですよ」と、叔父の記憶をたどってその墓にたどりつきました。 墓碑を見て「あっ」と思いました。「海軍上等兵曹 勲七等六級 田邊芳一之墓」とありました。側面には「田邊繋利長男芳一 大東亜戦争に参加 昭和十九年七月二十二日マレー沖海戦に於いて戦死 行年二十二」と記されていました。 叔父の兄は骨も戻らない---叔父さんのご兄弟のお墓ですか。
山下 ええ、お兄さんのお墓だったんです。叔父の兄は当時の日本軍の「イ161号」という潜水艦の乗組員でした。百数十人の乗組員とともに沈んだまま、骨も帰ってこないという話を、叔父から昨年の総選挙のときに初めて聞きました。そのお兄さんのお墓だとわかってたいへん厳粛な気持ちになりました。 叔父は「久しぶりに墓参りできてよかった」と兄の思い出話をしてくれました。今年80歳になる叔父ですが、毎月兄の命日には自宅で供養をしてきたそうです。若くして逝(い)った兄には、弟の叔父しか身内がありませんから。 実は長いつきあいなのに、叔父が兄の話をしてくれたのは、昨年の総選挙の最中が初めてでした。私の妻もそれまで知りませんでした。兄を知る人が次々になくなって、もう自分ぐらいしか残っていないという思いと、憲法改悪への危機感からだと思います。 肉身を戦争で失った叔父の「芳生君、憲法だけは守ってくださいよ」という言葉は、とても重いと思いました。---先日は「九条の会・おおさか」結成1周年の記念講演会が開かれましたね。 九条は「釈迦の教えそのもの」山下 私も参加しました。真宗大谷派瑞興寺住職の清史彦さんが「九条はお釈迦(しゃか)様の教えそのものです」といい、日本カトリック正義と平和協議会の松浦悟郎さんが「九条のひとことで、これまでなかなか進まなかった諸宗教の対話がすすんでいます」と語っておられましたが、九条には立場の違う人たちの手と手をつなぐ力があると思いました。九条の価値を再発見しました。 ジャーナリストの大谷昭宏さんが講演で「ちょっとやそっとで変えさせるか」と決意をのべておられましたが、まったく同感です。憲法改悪阻止へ全力をあげます。(つづく)写真:兵庫赤旗まつりで。左端が山下さん=21日、神戸市。
(「しんぶん赤旗」2006年5月26日付より)