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第16回大阪解放戦士合葬追悼会での追悼の辞

2005年05月08日


 5月8日におこなわれた「第16回大阪解放戦士合葬追悼会」で、山下氏が述べた追悼の辞を以下にご紹介します。


 第16回大阪解放戦士合葬追悼会にあたり、社会の進歩と革新、平和と民主主義のために活躍され、志なかばにして亡くなられた皆様に、日本共産党大阪府委員会を代表して心より哀悼の意を表します。また、生前苦楽をともにされ、故人の活動を支えてこられたご遺族の皆様に、心よりお悔やみを申し上げます。

 本日合葬される93名の方々のお名前と経歴を拝見しておりますと、私たちの運動は、そして歴史というものは、有名、無名の先人たちの苦労と努力によって築かれてきたのだとつくづく感じます。

 名簿の中には、大阪の革新のシンボルとも言うべき、黒田了一元大阪府知事のお名前もあります。
 憲法学者だった黒田さんは、1971年の大阪府知事選挙に立候補。「公害知事さんさようなら。憲法知事さんこんにちは」の合言葉が大阪中に広がり、大方の予想をくつがえして勝利しました。そして、2期8年の間に、全国に先駆けて老人医療費の無料化を実現、公害対策の充実、府立高校56校建設、中小企業融資枠の拡大など、住民が主人公の政治を貫きました。その業績は、全国の自治体や国の政治にも影響を与え、いまも私たちの暮らしの支えとなっています。

 残念ながら、私は、現職知事時代の黒田さんとお会いしたことはありません。ですから直接の思い出は、黒田さんが知事を引退した後のものになります。
 80年代のはじめ、中之島中央公会堂でのことでした。当時私は、大阪で青年運動に情熱を傾けていました。その頃、政治の舞台では、社会党が公明党と政権合意を結び、安保を容認し、革新の立場を投げ捨ててしまったことが大きな問題となっていました。黒田さんは、「平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇話会」(全国革新懇)を結成し代表世話人として奮闘されていました。中之島で聴いた黒田さんの演説はいまでも忘れられません。

 「社会党が右転落して、ああもう革新統一の展望はなくなったと嘆く必要はないのです。政党の組み合わせだけが統一戦線ではありません。転落した社会党が立ち直るのを待つのではなく、国政革新の要求で一致する団体、個人が、草の根で共同することが大事なのです」

 目からうろこが落ちるとはこのことでした。待ちの姿勢ではなく、情勢を主導的に切りひらいていこうという黒田さんの呼びかけは、私の胸に新鮮に響きました。これは政治と社会の変革を志すものにとって、いまでも通用する大切な心構えだと思います。

 生涯を、進歩と革新のために捧げ、大阪府民に希望と勇気を与え続けてくれた黒田了一さんに、心からの感謝を捧げたいと思います。

 本日合葬される方の中には、日本共産党員も数多くおられます。その中のお一人に、党西成浪速地区委員長や大阪府常任委員をされた倉田かつ末さんのお名前があります。
 倉田さんは、私が95年の参院大阪選挙区で初当選したときの選挙事務所長をしてくれました。よく街頭や屋内の演説会の現場にみずから足を運び、演説内容と聴衆の反応や感想を踏まえて的確なアドバイスをしてくれました。あまりにも早すぎるお別れに、いまあらためて恩人を失った悲しみとくやしさがこみ上げています。

 日本共産党は、さまざまな分野、職場、地域、学園で活動する一人ひとりの党員によってつくられている人間集団です。先日、ご遺族の交流懇親会に寄せていただいたとき、「主人は、日本共産党を信じ、日本共産党のために生きてきました」との言葉に、胸が熱くなりました。清冽な気持ちになりました。故人たちの思いを引き継ぎ、故人たちの成し得なかった事業を必ずやり遂げたいと、深く心に誓いました。

 いま、戦後60年の節目の年に、アジアと日本のあまたの犠牲のうえにつくられた日本国憲法を改悪し、日本を再び海外で戦争する国にしようとする企てがつよめられています。同時に、改憲の急な動きを危惧する人々による、立場の違いを超えた共同も全国各地に広がっています。大阪でも、落語家の桂米朝さんや、作家の藤本義一さんらによる「九条の会・おおさか」が結成され、5月3日の憲法記念日には3000人を越える人々が大阪城野外音楽堂に集いました。草の根の「九条の会」も短期間に100を超えて誕生しています。著名人も市井(しせい)にある人も、それぞれの人生をかけて、自分の言葉で憲法を守り生かすことの大切さを語っています。

 自民・公明・民主の「改憲オール与党」勢力に「人生をかける」ほどの大義はありません。21世紀の世界とアジアの大きな流れを見ることができず、ただアメリカに追従するだけだからであります。
 その点からも、このたたかいは勝利できる可能性と条件が大いにあると確信するものです。

 歴史はけっして無駄には流れておりません。亡くなられた方々が刻まれた一つ一つのたたかいが積み重なり、いま新たな歴史の扉を開く力となりつつあります。その力をさらに大きく膨らませ、扉を押し開けるのが、残された私たちの務めだと思います。ご遺族の皆様とも心を合わせ、悲しみを乗り越えて、新しい道を刻むために前進してまいります。

 どうか安らかにお眠りください。そして私たちのたたかいを見守ってください。

 2005年5月8日 

日本共産党大阪府委員会副委員長・元参議院議員 山下よしき

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