「山下よしき事務所ニュース」5月号の『よしきの休日の過ごし方』コーナーで「手打ちうどん」について取り上げていますので、関連記事として2003年8月に投稿された「郷里香川でうどんを打つ」再録します。
※「山下よしき事務所ニュース」は、「しんぶん赤旗」に折り込んでお届けしています(大阪市淀川区、東淀川区、西淀川区、此花区)。詳しくは、山下事務所までお問い合わせください。
忙中閑あり。郷里の香川でうどんを打ってきました。
私のうどん打ちの師匠は実家の近くに住む伯父(おじ)です。若いときから百姓と大工を仕事にしてきた人で、もう80歳近いのですが身体は頑丈そのもの。いまでも毎日腕立て伏せ50回を欠かしません。朝4時には起きて熱燗を一杯やり農作業に出かけます。うどん打ち歴はすでに60年になり、私が帰省するたびに自慢の腕をふるってくれます。
朝7時、伯父宅に着くと、すでに伯母がかまどに薪をくべ大釜に湯を沸かしてくれていました。私は伯父と一緒にうどん作りにかかります。まず、うどん粉(香川では小麦粉のことをこう呼びます)と塩水を合わせ、ボールの中で手で揉むようにして混ぜます。水は讃岐山脈から湧き水を汲んできたもの。長年の経験で、夏場は塩を多めにします。しばらく揉んでやると、ボールの中にうどん粉の花が咲いたような状態になりとてもきれい。
それをくっつけるようにしてまとめ、手のひらに体重をかけてよくこね、かたまりに。ボールから取り出して、こんどは足で踏んで伸ばします。伸ばしてはたたみ、たたんでは踏んでを数回くりかえします。この足踏み作業は、子どもの頃よくやったものでなつかしい。讃岐うどんのコシの強さはここから生まれます。こねあがった生地は円盤状に伸ばししばらく寝かせます。
待っている間、伯母の作ったしょうゆ豆(炒ったそら豆をしょうゆに漬けた郷土料理。素朴な味わいです)をあてに、熱燗をいただきながら、伯父としばしの語らい。いまはもうコメ作りだけでは食べていけなくなったこと、大学卒業予定の孫の就職が厳しいことなど、お酒がすすむにつれ話しは政治談議となりました。
ほど良い酔い心地になったところで作業再開。板の上に生地を乗せ、麺棒(伯父はステンレス管を愛用しています)で伸ばします。まず、丸い生地を四方に伸ばし四角くするのがミソ。次に、生地を麺棒にくるくるっと巻きつけ、板の上で体重をのせころがすようにしながらさらにうすく伸ばします。ここが一番の技の見せ所。伯父がやると「バンッ、バンッ」とまさにうどんを”打つ”音がリズミカルに響き、生地は均一に伸びていきます。
修行中の身である私がそうはいかないのはご愛嬌。それでもなんとか生地はうすく拡がりました。祖伯父の手製という年代ものの麺切り器に生地をたたんでのせ、包丁をトントントンと小刻みに動かして切れば、うどんの生麺の出来上がり。待ち構えていた伯母が、新聞紙を敷いた木箱に入れて運び、ぐらぐらと沸く大釜の中に放り込みます。薪の火力はとても強い。湯の中でうどんが体操選手のようにぐるぐる回転します。ふきこぼれそうになるとびっくり水を差して、湯と麺の暴れ加減を抑えます。
麺が湯に浮かんできたら茹で上がり。伯母が手早く竹ざるに上げ、冷たい水で一気に洗い、ぬめりを取りながら麺をシメます。伯母が手で麺を一握りして取り上げると、それがうどん一玉分。つやつやと透き通るように輝く出来たてのうどん玉がざるに並びます。
「でけたでー」。伯母の一声に、待ってましたとばかりに、どんぶりにうどん玉を入れてもらい、刻みねぎとだしをかけて”ぶっかけ”でいただきました。他の麺では味わえないコシと歯ごたえ。ひんやりなめらかなのどごし。「んー、うまい」。思わず声をあげてしまいました。茹で上がったあつあつの麺を、洗わずにそのまま生卵と混ぜていただく”かまたま”もいけます。手間はかかるけど最高の贅沢です。
たっぷり堪能したうどんを手土産に、私は午後の列車で大阪に。夜、西淀川労働者後援会の皆さんにも食べていただきましたが、さてお味はいかがでしたでしょうか。
(2003.08.14記)
手打ちうどんの材料(5人前)
小麦粉500g、水‥春夏230ml・秋冬250ml、塩‥夏20g・冬15g、打ち粉‥片栗粉適量
作り方
@塩水をつくり、小麦粉に入れ、両手でしっかり底から混ぜ耳たぶくらいの弾力にする。なお季節によって水加減が異なるので要注意
A生地を3つにたたみビニール袋に入れかかとでしっかり踏む。4回繰り返す
Bビニール袋に入れたまま常温で1時間寝かせる
C生地に打ち粉をして麺棒でタテヨコに伸ばし、3ミリ厚さになったら10cmに折り均一幅に切っていく