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国民的討論で21世紀の日本にふさわしい
国旗・国歌をつくり出そう

参議院国旗及び国歌に関する特別委員会 1999年7月30日

○山下よしき 日本共産党の山下芳生です。

 日の丸・君が代を国旗・国歌として法制化する法案がわずか十三時間の審議で衆議院を通過いたしました。しかし、法制化をめぐる国民の世論には私は無視できない二つの特徴があると思います。

 第一は、法制化の必要性について国民的合意があるとは言えないということであります。特に、君が代の法制化については意見が完全に二分しております。朝日新聞の世論調査では、君が代の法制化について必要だという回答が四七%、不必要だという回答が四五%。TBSラジオの調査では、君が代の法制化に賛成三五%、反対五四%。JNNの調査では、賛成四四%、反対五三・六%であります。

 君が代の法制化を必要、賛成とする意見はどの調査を見ても過半数に達しておりません。日の丸についても、不必要とする意見が必要とする意見のおよそ半分ほどあります。

 官房長官に伺いたいんですが、日の丸・君が代を国旗・国歌として法制化することについて、国民的合意があるとは言えないんじゃありませんか。

○野中広務官房長官 国旗・国歌法案を提出するに至りまして、今、委員からそれぞれの調査についての報告があったわけでございますが、私ども総理府の世論調査等によりまして、それぞれ昭和四十九年十二月以来の調査を見ましても、国民の中にこれが国歌としてふさわしい、国旗としてふさわしいというように高い支持を得ておるわけでございます。また、御承知のように、オリンピックやワールドカップサッカーのような国際的な競技大会におきましても、国民は日の丸・君が代、旗を振り、かつその歌を歌い、そして表彰式などでは日の丸が掲揚され、君が代が演奏されておるのをずっと定着したものとしてきたわけでございます。

 けれども、先ほど来申し上げておりますように、いわゆるこれを定着したとは理解しない人たちが特に教育現場に多いわけでございますので、この際、成文化をすることによってより我が国の国旗・国歌としてこれを意義づけ、そして定着をするようにいたし、あるいは教育現場の混乱や痛ましい事故を防ぐようにしていきたいと考えたわけでございます。まさしく今御指摘ございましたように、いろんな世論調査の結果も出ておりますけれども、他の報道機関の調査等では、法文化について国民の理解が高いものもまた見受けられるわけでございます。

 いずれにいたしましても、国民世論を代表されました国会におきまして十分御審議いただいて、その可決、成立を私どもとしては期待しておるところでございます。

○山下よしき 教育現場の問題は後でやります。

 私が今問うているのは、日の丸・君が代を国旗・国歌としてふさわしいと思っている人が多数だということについて聞いているんじゃありません。日の丸・君が代を国旗・国歌として法制化することについての国民の世論を問うているわけであります。これについては、これはふさわしいと思っている人と法制化が必要だと思っている人の間には大きなギャップがある。

 先ほど示しましたけれども、賛成だという人が過半数を超えている数字は君が代についてはございません。この法制化をめぐって世論が二分しているという事実、官房長官、これはお認めになりますね。

○野中長官 現実に法制化について国民世論にいろんな世論の結果が出ておることは、報道機関の一部調査の結果、私どもも承知をしておるわけでございます。

 しかし、これは今まで、先ほど来公明党の山下委員から御指摘がございましたように、その由来やら根拠となるべきものを十分国民の間に、あるいは家庭において、社会において、教育現場において十分理解されるような努力をある意味において怠ってきた結果、唐突にこれが世論調査の結果で十分国民に理解をされておらないところでございまして、私どもはそれだからこそ二十世紀末の処理すべき事案としてこの問題を片づけたいと考えた次第であります。

○山下よしき おかしいじゃありませんか。理解されていないのに法制化するというのは、国旗・国歌は大事な問題なのに、そういうやり方はないと私は思います。

 政府が日の丸・君が代が国民の間に定着しているという根拠としてよく紹介される、先ほど長官が御紹介されました一九七四年の総理府の世論調査、この調査でも、日の丸・君が代が国旗・国歌としてふさわしいと答えた人の中でも、法律ではっきり国旗・国歌として決めた方がよいとする意見は、日の丸・君が代とも二割しかございません。
 当時の内閣総理大臣官房広報室の報告書を見ますと、「国民の大多数は、「君が代」は国歌、「日の丸」は国旗としてふさわしいと思ってはいるものの、それらを法制化することについては大半が消極的であることを示している。」、こう結論づけて法制化を見送っているんです。

 これは素直な結論だと思います。今日でも国民の態度は基本的には変わりません。さっき言ったとおりです。法制化賛成の世論が過半数にないわけですから、これは法制化することについて国民の大半が積極的になったとは私は言えないと思うんです。

 君が代を国歌として法制化する、このことについて国民的合意があると言える、そういう世論調査があったら紹介してください。

○竹島一彦内閣官房内閣内政審議室長 事実関係でございますので、私から御答弁申し上げます。

 ふさわしいかというアンケートに対しまして、さらに法制化についてどう考えるかというアンケートもあるわけでございます。

 今、委員から一部のアンケート結果について御紹介がございましたけれども、例えば最近七月に東京新聞、これは日本世論調査会でもございますけれども、そこで行われました日の丸・君が代の法制化についての世論の調査結果は七一%が賛成でございます。それから、産経新聞の五月におきましても五六%、毎日新聞の四月が六一%ということでございまして、確かに昭和四十九年の総理府の世論調査の場合に法制化は御指摘のとおり二割ぐらいでございましたけれども、今や過半になっているということでございます。

○山下よしき 今の東京新聞の問いなど、紹介されたものは、日の丸・君が代の法制化という問いなんです。君が代だけ問うた調査で過半数が法制化オーケーというものは今のところございません。

 私はもう一つ世論調査の特徴を紹介したいんですが、もう一つは拙速を避けてもっと議論を尽くせという意見であります。これが国民の多数を占めております。

 朝日新聞の世論調査では、「今の国会の成立にこだわらず議論を尽くすべきだ」、これが六六%。毎日新聞の調査では、今国会での法制化に「反対だ」、「もっと時間をかけて議論すべきだ」が日の丸で五二%、君が代で五八%であります。これは国旗・国歌をどうするかという大事な問題なんだから、急がず慌てず議論を尽くせと、これが国民多数の声ですよ。

 官房長官にお伺いしたいんですが、今国会で拙速に法制化するなという国民の世論にどうおこたえになりますか。

○野中長官 世論の趣につきましてさまざまな御指摘がございますけれども、政府といたしましては、この法案を国会に提出させていただいたわけでございます。国民の世論を代表される国会におきまして、慎重に御審議をいただいて、私どもといたしましては法案の成立を期待しておるところでございます。

○山下よしき 無責任なことを言わないでほしいですよ。政府が法案を提出したのはいつか。この通常国会の当初の会期末のわずか六日前ですよ。国権の最高機関、国会で慎重審議をと言うけれども、慎重審議ができるような状況で出されていない。初めからそんなことを考えていなかったとしか私どもは思えません。

 私たちは、国旗・国歌というのは大事な問題だから、問答無用の押しつけではなくて、国民みんなで議論を尽くして、その上で国としてきちんと決めること、法制化することを提唱しております。その議論の中で、日の丸・君が代を国旗・国歌として法制化することに賛成だという人は政党や政治家も含めてそのわけを主張したらいいと思うんです。いや、反対だという人は、なぜ、どこが反対なのか意見を出せばいい。そういう議論を十分に尽くし、討論を尽くし、日本の国旗・国歌にどんなものがふさわしいのかの国民的合意を、これは努力することが何よりも大事だと考えております。

 マスコミでもオープンな議論が今展開されております。新聞の投書欄を見ても、日の丸・君が代の法制化に賛成論、反対論、いっぱいあります。もちろん出ております。同時に、新しい国旗や国歌をつくってはどうかという意見もあります。実にさまざまな意見が今載っている。私はこのさまざまな意見が出ているということが非常に大事だと思うんです。

 今、主権者である国民が、国旗や国歌をどうするかということについて、事実上、歴史上初めて声を上げ、討論が始まった、自由闊達な討論が始まったと。官房長官は、衆議院の審議の中で我が党の児玉議員に対して、世論の動向には常に謙虚でならなければならないと考えておりますと、こう答弁されました。だったら、今やるべきは、この始まった国民的討論を十分保障することじゃありませんか。それでこそ国民の声に謙虚に耳を傾けたということになるんじゃありませんか。

○野中長官 政府といたしましては、国会において慎重御審議を賜りたいと存じております。

○山下よしき 慎重審議、慎重審議と言いながら、国会の延長が決まってこそっと出してくる、これでは慎重審議できないですよ。

 大体、日の丸・君が代は国旗・国歌として定着している定着していると皆さんは盛んに言う。定着していると思うんだったら、討論を恐れる必要はないんです。公明正大に大いに議論をやって、合意のあるところで決めたらいい。討論が始まったばかりなのに、何で法制化でそれを断ち切ることをやるんだ。私はそれは本当に理解できません。法制化を急いでせっかく始まった討論を封殺する、これはもう最悪の愚挙であります。

 大体、あなた方は、ことしの二月までは法制化は考えていない、こう言っていたじゃありませんか。それが突然、法制化を言い出した。

 もう一つ私が問いたいのは、これは大事な問題ですから、選挙で国民の信を問うたことがあるのかということであります。どの政党もこれまで選挙で、日の丸・君が代を国旗・国歌として法制化しましょう、こういうことを公約に掲げ、それが争点になった選挙はございません。

 それとも自民党は、去年の参議院選挙、直近の国政選挙で日の丸・君が代の法制化を党の公約として掲げていたとおっしゃるんでしょうか。官房長官、どうぞ。

○野中長官 私は党を代表して答えるべき立場にございません。ただ、この長い経過を考えますときに、私はいつも思うのでございますけれども、国旗・国歌のありようについて政治の場であるいは国民的議論を得るための努力を怠ってきたことは、私ども、政治家の一人として、江本議員にお答えをしたように、謙虚に反省をするべきだと思っております。

 ただ、委員が今それぞれおっしゃいましたけれども、日本共産党は自分たちの綱領の中で言っておらないことを最近は随分変革しておっしゃってまいりました。

 昨年の参議院選挙には、日米安保体制や天皇制や自衛隊を容認するようにおっしゃいまして、随分薄化粧をされました。また、最近は国旗・国歌についても法律で決めればそれでいいというようなニュアンスの発言を責任者がされることもございました。

 私どもは、そういう中において、我が国の半世紀を引きずってきたこの反省をきちっとしておかなくてはならないと思うわけでございまして、したがいまして今法文化してお願いをしておる、このことは政府として当然のことをお願いしておると考えておるわけでございまして、その意味において、我々が国会の議論を妨げたり、封殺したりしておるわけでございません。広く慎重に国会において十分御審議を賜りたいと考えております。

○山下よしき 聞いていないことに答えないようにしていただきたいんです。

 我が党の綱領について一言言われましたので、反論させていただきたいんですが、日本共産党は、今の党の綱領で、戦前と違って天皇制打倒という方針は掲げておりません。よく読んでいただきたい。読まずに批判してほしくないです。

 私たちは、天皇という一人の個人を一億二千万人の国民統合の象徴として扱い、その地位を天皇家という一つの家族が代々受け継ぐということは、戦前の君主絶対の制度の名残であり、これは今の民主主義の時代にはそぐわない、いずれこれは国民多数の声でこの制度をなくす日が必ず来ると考えております。しかし、天皇制をなくすかどうかは今の日本の政治にとっての焦点ではない、こう考えております。綱領にもそのことを書いてはおりません。

 もう一つ野中長官に申し上げたいのは、私どもは法制化を提起しました、しかしこれは国民的討論を尽くして合意点ができたら法制化をしてきちっと決めようと。しかし、そうやって決めた国旗・国歌についても、これは国が公の場で使うことにとどめるべきであって、国民に強制したり、ましてや教育の現場に押しつけたりしない、こういう提案をしたわけです。これは今私たちが提案した、その後大いに国民の議論が広がっているということから見ても、私たちは積極的意義を持つ提案だったと思っておりますし、これはもっと討論を発展させる必要がある、これを断ち切るのは本当に将来に禍根を残すというふうに思うわけです。

 もう一つ聞きますが、結局、選挙の公約についてお答えありませんでしたけれども、私は去年の参議院選挙の自民党の公約をいただきまして見ましたけれども、我が国及び諸外国の国旗・国歌に対する正しい態度を培いますということは確かに書いてあります。国旗・国歌について触れてあります。しかし、法制化をしましょうということはやっぱり書いてないんですね。これが直近の国政選挙の自民党の公約ですよ。だから、法制化について国民が今討論したがっている、それをなぜ断ち切って、国民に一回も議論の場を与えずに法制化をしてそれを打ち切るのかということを私は問うているわけであります。

 さらにもう一つ聞きたいんですが、政府の新解釈、君が代の新解釈の発表はいつだったでしょうか。

○野中長官 最初に、政府委員の前に私からお答えをしておきたいと存じます。

 政府は、国民的討論なり国会の討論、御審議を打ち切るような意図は全く持っておりません。国会みずからの責任においてぜひ慎重な御審議を賜りたいと存じます。誤解のないように明確に申し上げておきたいと存じます。

○竹島内政審議室長 新解釈というお話でございましたが、いずれにしましてもいわゆるわかりやすく丁寧にという解釈を総理が答弁されましたのは六月二十九日の衆議院本会議、伊藤英成議員に対する答弁でございます。

 それからもう一点、恐れ入りますが、先ほど私が御説明申し上げました法制化についての世論調査の結果でございますが、最初に私、日の丸・君が代とあわせて申し上げたかもしれませんが、説明させていただきました数字は君が代の法制化についての賛成意見でございまして、ちなみに日の丸についてはもっと高くて七七%、八〇%でございます。

○山下よしき 世論は二分しているということが言いたいんです。そういう調査もあれば法制化反対が多い調査もあるわけですから、それで国民が今議論しているわけですよ。そのことを私は言っているんです。

 いかに国民の世論を本当にしっかりと踏まえないで今法制化のごり押しをしようとしているのかということが、これだけ国民の討論が巻き起こり世論が二分しているのにもかかわらず、そういう姿勢がはっきりしたと思います。

 国のシンボルを決めるという大事な問題、これを国民の意思に反して数の力で強行決定する権限はどんな政府にも国会にもございません。そんなことをやったら国旗・国歌を軽視するものだ、そういうことを指摘して、次の質問に移ります。(発言する者あり)

○岩崎純三委員長 御静粛に願います。

○山下よしき 私は、日の丸・君が代を国旗・国歌として法制化することについて世論が二分しているのは、これは根拠があることだと思います。それは、君が代の歌詞が憲法の国民主権の原則と相入れない意味を持っている、日の丸が戦争中に侵略の旗印にされたという歴史を持っているからであります。

 文部省に聞きますが、戦争中の教科書で君が代が国歌として初めて教えられたのはいつでしょうか。

○御手洗康文部省初等中等教育局長 後ほど調べた上でお答えさせていただきます。

○山下よしき この法案審議の際には基本的な事項ですよ。私の方で言いますから、いいです。

 初等科修身第四期、これは一九三七年の教科書に初めて君が代が国歌として書かれました。まさに日本の中国侵略が本格化した時期と重なっております。

 その後の教科書にはどういう記述が載っているか。「戦地で、兵隊さんたちが、はるかに日本へ向かつて、声をそろへて、「君が代」を歌ふ時には、思はず、涙が日にやけたほほをぬらすといふことです。」、「敵軍を追ひはらって、せんりゃうしたところに、まっ先に高く立てるのは、やはり日の丸の旗です。兵士たちは、この旗の下に集って、声をかぎりに、「ばんざい。」をさけびます。」、こう書かれてあります。

 長官に伺いたいんですが、日の丸・君が代が侵略戦争に国民を動員するために使われた、この事実はお認めになりますか。

○野中長官 私は、君が代の歌詞は平安時代の古今和歌集や和漢朗詠集に起源を持ち、その後、明治時代に至るまで祝い歌として長い間民衆の中に幅広い支持を受けてきた、そういう歴史的経過を承知いたしております。この場合、君が代の「君」とは相手を指すことが一般的で、必ずしも天皇を指すとは限らなかったと思うわけでございます。

 ところで、古歌君が代が明治時代に国歌として歌われるようになりましてからは、大日本帝国憲法の精神を踏まえまして、君が代の「君」は日本を統治する天皇の意味に用いられ、君が代の歌詞も天皇の治める御代が末永く続きますようにという意味に解釈されてきたということを、私どもとしては明治以来第二次世界大戦が終わるまでの間をそのような経過の中で思うわけでございます。しかし、敗戦後、我が国憲法が制定されまして、憲法第一条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と規定されたことによりまして、天皇そのものの地位も戦前とは大きく変わったと認識をしておるわけでございます。

 したがいまして、日本国憲法下における古歌君が代の「君」は、先ほど来御答弁申し上げておりますように、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており、君が代とは日本国民の総意に基づく天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり、君が代の歌詞もそうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解釈をしておるところでございます。

○山下よしき 質問に全然答えていないじゃありませんか。私は戦前の教科書が日の丸や君が代の記述をどうしていたかということを述べました。そして、実際に中国への侵略と軌を一にしていた。日の丸や君が代が国民を戦争に動員するために利用された、使われた。この事実を長官はお認めにならないんですか、それを聞いているんです。

○野中長官 私は日の丸や君が代が戦争したとは思っておりません。ただ、その日の丸や君が代が委員が今御指摘になりましたように戦争遂行の中に利用されたということは認めざるを得ないと思っております。

○山下よしき 旗や歌が直接戦争するわけがないのは当たり前なんですよ。問題は、君が代を国歌とするような国だった、そういう体制だったというところに私はあると思います。

 今、長官も答弁されたように、君が代は大日本帝国憲法の精神でつくられた、天皇を絶対の統治者とするそういう体制をたたえた歌であります。

 そこで聞きますが、では大日本帝国憲法における天皇の大権、権能を全部挙げてください。これは通告ちゃんとしてありますから言ってください。(発言する者あり)

 委員長、これは通告してあるのに、これはだめですよ。何ということないですよ。

○竹島内政審議室長 最初に御通告いただきましたのは、憲法に照らし、君が代の歌詞の中身や今回の法制化についてどう考えているか、旧憲法との関係でどうか、こういうことでございまして、天皇大権についての御通告は受けておりません。(発言する者あり)

 それはそれといたしまして、

 大日本帝国憲法
   第一章 天皇
 第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
 第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
 第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
 第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
 第五条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
 第六条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
 第七条 天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス
 第一一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

 以上でございます。

○山下よしき ちゃんとそういうことも含めて通告してあるんですから、ささっと答えてくださいよ。

 今、一部ですけれども、読まれました。天皇主権の体制というのは、万世一系で神聖不可侵とされた天皇が君臨して、軍隊の統帥権、宣戦、講和の権利から、立法、行政、司法権に至るまであらゆる権力を一身に握る体制でした。内閣、そして国会はそのもとで天皇を助ける補助機関だった。

 私は、国民がそういう形で条件つきの権利しか持たない臣民、天皇の家来とされた。一方で天皇に絶対的な権限が与えられ、一方で国民の権利が極めて厳しく制限された、そういう体制だったからこそ、つまり君の代、天皇の治世だったからこそ、天皇の決定だけで侵略戦争という歴史的誤りへの道が開かれた、ブレーキをかけることができなかった、これは戦前と戦後の違いから見てこう受けとめるべきだと思いますが、長官、この認識はいかがでしょうか。

○野中長官 そのとおりでございます。

○山下よしき 今お認めになりました。

 ところが、君が代の歌詞ですが、政府の新解釈でも、やはり「君」は天皇、「代」は国というのですから、日本は天皇の国ということになるわけです。天皇主権の体制にこそふさわしい歌としての本質にこれは変わりはない。

 本来、私は、大日本帝国憲法や治安維持法、教育勅語とともにこれは廃棄されるべき歌だったのではないか、こう思いますが、長官、いかがですか。

○野中長官 したがいまして、委員が先ほど申されましたように、敗戦後、我が国は日本国憲法が新たに制定され、憲法第一条において「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と規定されて、新しい戦後が始まったわけでございます。

○山下よしき だから、それが御都合主義も甚だしいというんですよ。

 この君が代の歌というのは、平安時代の和歌だったと先ほどから御答弁がありましたけれども、もともとは家の者の長寿を祝った、そういう歌でした。政治的な意味はなかった。君が代の「君」はあなたのことだったと。その長寿の祝いの歌を、明治の初めに「君」とは天皇のことだと解釈し直して、天皇が治める時代がいつまでも続くようにというように政治的な歌につくり変えてしまったわけであります。それを今また、「日本国憲法下」においては「と解することが適当である」、こういう新解釈を持ち出した。私はこれは本当に御都合主義だと思います。

 一つの同じ歌ですよ。この同じ歌を、天皇主権から国民主権へと大転換が図られたにもかかわらず、天皇の統治を礼賛する歌を、歌詞もメロディーもそのままで、小手先の解釈の変更だけであたかも今の憲法の国民主権の原則と両立するかのように扱うことはおよそ歴史では通用しない、そういう御都合主義だと言うほかありません。

 私はそのことを指摘して、もう一つ別のテーマで聞きたいと思います。

 政府は、国旗・国歌は外国から敬意を表されるものと言ってまいりました。しかし、日の丸を掲げて侵略され、君が代を無理やり歌わされたアジア諸国の人たちはどう受け取るか、これは深く考える必要があると思うんですね。

 私の知るフィリピンのクリスチャン、シスター・シアツさんは、戦争中、目の前でみずからの父親を日本軍によって殺されました。以来、どんなに招かれても日本に行くことはできなかった。後に、戦争に反対した人が日本にもいたことを知って、ようやく半世紀近くたって日本の地を踏む気になれたと語っておられます。それほど侵略された人たちの心の傷は深い。

 長官は日本軍によって肉親を失ったアジアの人々の心の傷をどう考えるんでしょうか。いつまでも根に持つなと考えるのか、それともそれは人間として当然と考えるのか、いかがですか。

○野中長官 日の丸なり君が代が長年の慣行によりましてそれぞれ国旗・国歌として国民の間に広く定着をしておるということは何回か申し上げてまいったところでございます。

 今御指摘のございました過去の戦争中の歴史に対する認識は、平成七年、一九九五年、あの八月十五日の村山内閣総理大臣談話を基本といたしまして、我が国が過去の一時期に植民地支配と侵略によりまして多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受けとめ、これらに対する深い反省とおわびの気持ちに立って世界の平和と繁栄に向かって力を尽くしていくというものでございます。

 政府といたしましては、この考え方を踏まえまして、関係諸国との信頼関係を一層強化いたしますとともに、責任ある国際社会の一員としての国際協調を促進し、それを通じて平和の理念と民主主義を推進していかなければならないと思っておるところでございます。

 なお、先ほど来、本岡委員にも御回答申し上げましたように、なお二十世紀末の整理しなければならない問題を抱えておる我が国でございますだけに、そういう問題にも可能な限り努力をすることによって近隣諸国の取り残された問題の解決のために努力をしてまいりたいと思うわけでございます。

 先般、河野元外相が訪中されましたときに、唐家セン外交部長は、中国において、日の丸、国旗の法制化については日本国内の問題であるというようにおっしゃったことも、私どもは河野元外相からお聞きをいたしております。

○山下よしき そういう心の傷をお持ちの方、そういうアジア諸国の人々が日の丸・君が代に心底敬意を表するとお考えでしょうか。

○野中長官 長い傷跡を残してきた我が国でございますので、まだまだアジア近隣諸国のそういう被害をお受けになった方々から信任される状況には残念ながら至っておらないと思うわけでございますが、今後なお国際外交的努力を重ねることによって信頼を得るように一層努力をしなくてはならないと存じております。

○山下よしき なおいえないということであれば、私はなぜ法制化を今急ぐのかというふうに思います。

 アジアの民衆の声はどうなっているか。中国の新聞は、日本の皇軍が手に日の丸を持ち、君が代を高唱して天皇に忠誠を尽くすという名目のもとに、ほしいままに近隣諸国を侵略し、アジア人民に残した悪夢は今なお消し去るのが困難であると書きました。シンガポールの新聞は、日の丸と君が代は国内的には絶対君主制の象徴であり、対外的には侵略と戦争の象徴である、かつて侵略や植民地支配を受けた人たちには天皇の軍隊によって踏みにじられた悲惨な記憶として受けとめられていると書きました。

 こういうアジア民衆の声、これを謙虚に受けとめるとおっしゃるんだったら、今、日の丸・君が代の国旗・国歌としての法制化はやるべきじゃないと思いますが、もう一度どうぞ。

○野中長官 委員が御主張になるようなことが仮にあることと、今回、法文化で国会の御審議をお願いしておることとは別の問題でございます。

○山下よしき もう一つ投書を紹介したいと思います。

 中国で君が代を歌えなかったという京大の十九歳の女子学生の投書であります。私は戦争を知らない世代だけれども、日本との悲しい過去を持つ中国で君が代を歌うことはこれからもできないと思います。私たちは、日本に生まれ、その名を背負っている以上、過去の歴史も背負っていかなければならないはずですと。

 また、ある遺族会会長の投書。毎年、多くの遺族とともにニューギニアを訪れますが、慰霊碑の前では決して君が代を口にしません。現地での慰霊祭に流すテープは「誰か故郷を想わざる」や「赤とんぼ」、「さくら」、「荒城の月」です。最近では、さだまさしの「戦友会」、「防人の詩」を用意します。式の前には相手の国に敬意を表し、パプアニューギニアの国旗を掲げ、国歌を流すと、こうあります。

 二十一世紀を前に、国際交流で必要なのはこういう態度、相手の国の人々や国の立場に立って考え行動する態度ではないかと私は思うわけです。

 私は、今の政府の答弁を聞きまして、政府よりも今こういう投書をお寄せの方々の方がよほど国際的なマナーについては身につけていると思わざるを得ません。二十一世紀の国際社会の中で生きていくためには、憲法前文にある自国のことのみに専念し他国を無視してはならない、こういう姿勢が不可欠であります。日の丸・君が代の法制化はそれに反する、日本の国民の世論を無視するばかりかアジア諸国の民の声も無視する、二つの民意を踏みにじっての法制化は歴史に新たな汚点を残すということを指摘したいと思います。

 最後に、教育の問題も伺いたいと思います。

 法制化をめぐって国民の世論が二分するもう一つの背景は、教育現場での日の丸・君が代の押しつけあるいは強制が法制化を根拠に一層進められるのではないかという心配であります。

 政府は、教育現場で日の丸・君が代を押しつけることが憲法十九条で保障されている思想、良心の自由、内心の自由にもかかわることはお認めになりました。また、内心の自由というのは自分の内心を表明するかしないかの自由、沈黙の自由が含まれていることもお認めになりました。

 新聞に載った子供たちの投書の中には、「君」が天皇だからどうしても歌いたくない、過去のことを学んでどうしても歌いたくないという意見があります。私は、中学生や高校生になって過去の歴史、事実を学んでそういう気持ちになる子供たちは当然あるだろうと思います。そういう子供たちの気持ちを大切にし、そういう考えを持っていることを表明するかしないかの自由も認めなければならない、これは間違いございませんね。

○御手洗初等中等教育局長 一般的に、教育の場においても思想、良心の自由、それを表明する、表明しないという自由はそれ自体としては認められる必要があろうかと思います。

 なお、先ほど委員の方から、昭和十二年の文部省編集の尋常小学校修身巻の四の御指摘があったかと存じますが、君が代に関する戦前の教科書の扱いといたしまして、承知している限り一番早いのは、明治十八年発行の文部省編集の小学校唱歌集初編に「君が代はちよにやちよに」という歌詞が出てまいりますし、また二十五年の、これは文部省の編集ではございませんけれども、伊沢修二編の小学校唱歌一におきましては、君が代の歌につきまして、由来と、この曲は今日ほとんど我が国歌として祝祭日などに一般に用いられることなれりというような規定もございます。

 また、文部省といたしましては、明治二十六年、文部省告示の小学校儀式唱歌用歌詞並びに楽譜によりまして、現行の君が代の楽譜を示しまして、祝日、大祭日の儀式等で君が代を歌うこと、そういう状況になっているところでございます。

○山下よしき 君が代が日本の国歌ですとはっきり書いているのは私が言ったものです、君が代が載っているかどうかを私は問うたのじゃありませんから。

 それで、内心の自由、沈黙の自由は子供たちは学校現場でも認められる、そのとおりだとおっしゃいました。

 そこで問題となるのが、入学式や卒業式で国旗掲揚、国歌斉唱を一律に義務づける、そういう指導であります。君が代の一律起立あるいは一斉斉唱というのは、これは起立しない、歌わないという行為によって自分の内心を強制的に表明させられることになる、あぶり出されることになる。一斉起立、一斉斉唱というのは内心の自由を侵すことになるんじゃありませんか。

○御手洗局長 一般に、教育指導場面におきまして、さまざまな価値観や歴史観等の教育も含めまして、内心の問題にかかわる事柄というのは教育の作用それ自体に本来的に内包されていることでございます。

 要は、どういう教え方が、一定限度を超えた場合に、憲法の定める内心の自由あるいは思想、良心の自由の侵害になるかということでございます。したがいまして、通常の場合、入学式、卒業式におきまして起立をし、国旗に礼を払いながら斉唱するというような指導を行うこと自体、これが内心の自由を侵害するものとは私どもは思っていないところでございます。

○山下よしき そこが私はもっと深く検討する必要があるところだと思うんですよ。国旗掲揚、国歌斉唱を一律に義務づける指導自体が、それ自体が内心をあぶり出す踏み絵になるじゃありませんか。起立しない、斉唱しないという行為によって、あの人は君が代が嫌いなんだとわかってしまうわけですよ。

 君が代や日の丸に対して、先ほど紹介した投書にあるように、中学生や高校生になれば自分の内心としてこれは歌いたくないという気持ちを持つ人が、子供たちがあっても当然だと思います。それを心の中にしまっておきたい、自分でそう思っているだけにとどめておきたい、これは内心の自由であります。ところが、それを卒業式や入学式で大勢の中で一律に起立斉唱させられることになれば、これは歌いたくないと思って座ることによってその内心を事実上発露させられるということになるじゃありませんか。これは内心を表に出させるということにどうしてもなるんじありませんか。

○御手洗局長 学習指導要領は、学校あるいは教師の教育指導上の課題として、卒業式、入学式におきます国歌斉唱あるいは国旗の掲揚というものを命じているわけでございまして、直接児童生徒に効果が及ぶものではございません。

 したがいまして、学校におきましては、このことを通常指導するということにつきまして、そういう点、私どもは先ほど申し上げましたように内心の自由を侵害するとは思っていないわけでございますけれども、実際に子供は歌わなかった、あるいは起立しなかったということに伴って、その後何らかの心理的な強制、あるいはそれによる不利益というようなものをこうむることがあれば、それは内心の自由を侵害するというようなケースと判断される場合もあろうかと思います。要は、学校におきまして、教育的に認められる適切な範囲内で指導を行うということに尽きようかと存じます。

○山下よしき では、やっぱり一斉に歌わせる、一斉に立たせると。これは歌いたくない、立ちたくない、そう思っている人の内心の自由を発露させるということには当たらない、そういう解釈なんですか。これは物すごいプレッシャーですよ、歌いたくないと思って座り続けるというのは。それは内心の自由に抵触しないという文部省は見解なんですか。大臣、どうですか。有馬大臣、大臣答えてくださいよ、この大事な問題。

○御手洗局長 憲法上の解釈を最終的に判断いたしますのは最高裁判所ということでございましょうが、私ども文部省といたしましては、先ほど来繰り返しておりますように、通常の国旗・国歌の卒業式、入学式におきます指導の形態が直ちに内心の自由を侵害するというぐあいには思っていないところでございます。

○山下よしき 大臣、どうですか。

○有馬朗人文部大臣 今、初中局長がお答え申し上げたとおりです。

○山下よしき しかし、これは「註解日本国憲法」にも、「自己が如何なる思想を抱懐するかにつき、これを口外し又は沈黙する自由が認められる。」と、こうはっきり書いてありますよ。内心の自由には沈黙の自由があることを明快に指摘しております。また、思想及び良心の自由、内心の自由について、「この自由の保障は絶対的であつて、法律によつて奪いえぬのは勿論、「公共の福祉」の名を藉りてこの自由を制限することも許されない。」、こう指摘しているわけですね。

 絶対的に保障されるべき内心の自由が一斉起立や一斉斉唱で実際保障されなくなっているじゃないかと。暴かれるじゃありませんか。これは憲法判断、最高裁にまつと。またなければ実際の現場で起こっている子供たちの内心の自由に関する問題、これは判断できないんですか、文部大臣。

○有馬大臣 今の問題、すなわち児童生徒の内心にまで立ち入って強制するものでは私はあくまでもないと思っております。しかし、あくまでも教育指導上の課題として、この問題はその場その場で検討していかなければならないことだと思っております。どのような行為が強制になるかとか、今おっしゃった内心の自由がこの場合に奪われるとか、そういうことは具体的な指導の状況に即して判断をしていかなければならないと思っております。

○山下よしき 内心の自由というのは心の中にしまっておきたい自由なんですよ。言う自由もあるし、しまっておきたい自由もある。それは絶対的に保障されるべきものなんだということがもう憲法の解釈として通説になっているんです。

 事実上、それが卒業式、入学式の一斉起立斉唱でもう奪われているという実態があるじゃないか、それだけの負担がかけられているじゃないか、プレッシャーがかけられているじゃないかということを問題提起しても、それはそれに当たらないと。私は、文部省が内心の自由を本当にわかっていないと言わざるを得ませんよ。こんな状態で日の丸・君が代が法制化されたら、やっぱり教育現場で押しつけが一層強化されることになるんじゃないか、この国民の心配は当然であります。

 私たちは、この法案の断固廃案を目指して、国民的討論で二十一世紀の日本にふさわしい国旗・国歌をつくり出すよう努力することを表明して、質問を終わります。

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