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ベアテさん、ありがとう!

2008年05月06日

 「9条世界会議・関西」に参加。これが9条の力でしょうか。超満員となった会場の舞洲アリーナに身を置いて、とてもうれしい気持ちになりました。

photo オープニングの400人の大合唱は、アフリカ系の男性も加わって、戦争や飢えのない世界をつくる思いはひとつと実感できたし、関西の様々な大学の学生たちによる「新世代9条トーク」も、シンガポールからの留学生、在日コリアン3世がアジアから見た日本国憲法を語ってくれ新鮮でした。「僕はまだ改憲派か護憲派かわかりません」という発言も、私たちの運動の広がりへの確信と、さらなる多数派形成へのヒントを与えてくれました。

photo 圧巻は、ベアテ・シロタ・ゴードンさんのスピーチ。ベアテさんは、アメリカ・GHQの一員として、日本国憲法第14条1項(法の下の平等)や24条(男女平等)を起草した人です。ていねいな日本語で語ってくれた一言ひとことから、日本国憲法ができた必然性と偶然性を感じ取ることができました。

 アメリカの大学で学んでいたベアテさんが終戦直後来日したのは、日本で働いていた両親に会うためでした。当時、民間人は占領下の日本に行くことが許されなかったため、ベアテさんはGHQで働くことにします。そのベアテさんたちにマッカーサーから命令が下されます。日本の新しい憲法の草案を書く任務です。みんなびっくりしたそうです。

 マッカーサーは日本の新憲法を民主的なものにする考えを持っていて、日本の政府代表に草案を書かせるのですが、2回3回書いても出てくるのは明治憲法と同じようなものでした。そこで、GHQのスタッフに命じることになったのです。

 何人かで分担して書くことになり、ベアテさんは人権担当となります。割り振られた「法の下の平等」とともに、「男女平等」も起草したいと自ら申し出ます。ベアテさんは、日本の女性がとても未権利な状態に置かれていること、日本の進歩的な女性たちのなかで早くから参政権を求める運動があったことを知っていました。

photo ベアテさんたちは、いくつかの図書館から世界各国の憲法を集めて研究し、いいものを取り出し、日本に合う草案を書き上げます。マッカーサーの指示は「秘密裏に」、そして「1週間で」だったというから驚きです。

 こうして起草された日本国憲法草案。ベアテさんは、60年が経ち、日本の女性たちがとても進歩したことは、大阪や東京の女性を見るとすぐわかると笑い、社会の様々な分野で女性が活躍していること、夫に従属する妻は少なくなったことを挙げました(今朝、シャワーの2度目の交換を済ませたばかりの私は、ここで深〜く頷いたのでした)。

 ベアテさんは、改憲論者の「押し付けられた憲法」との言い分に対し、「自分よりいいものを押し付ける国があるでしょうか」(笑い)と痛快に反論。また、「外国から輸入した憲法」との言い分に対しても、「日本は昔から外国のいいものを取り入れてきました。漢字、仏教…。外国からの輸入であってもいいものはいいのです」(拍手)と明快です。

 二度の世界大戦と、国連憲章、そしてヒロシマ、ナガサキと、歴史の大きな流れのなかから生まれた日本国憲法。同時に、その誕生の実際は、当時22歳だったベアテさんのような一人ひとりの起草者の手によって書かれたものでした。必然と偶然の重なりのなかで紡ぎだされた宝物――私たちの憲法がまた愛おしく、誇らしく思えるベアテさんのお話でした。

 「ベアテさん、ありがとーっ」。舞台から降りるベアテさんに会場から声が飛びました。

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