突然の悲しい知らせでした。近畿ブロック事務所で私のスケジュールを担当してくれていた矢野剛さんが亡くなりました。
矢野さんには私が始めて参院大阪選挙区の候補者になった14年前から党大阪府委員会でお世話になってきました。大阪府委員会の事務所の屋上で、私が慣れない演説の練習をしていると、いつの間にか近づいてきて人懐っこい笑顔で励ましてくれたのが矢野さんでした。それ以来、互いに気さくに声を掛け合う仲になりました。
何人もの党国会議員の選挙を身近で支えてきた矢野さんのアドバイスはいつも的確で温かみがありました。現在、すでに党勤務員は定年退職されていたのですが、その貴重な経験と能力を参院選でぜひお借りしたいと、近畿ブロックに毎日出てきてもらっていたのです。矢野さんが作成してくれる手書きの行動予定表は、几帳面な文字を見ているだけでまじめな人柄が伝わってきました(いまも矢野さんが書いてくれた7月4日の奈良、滋賀の行動予定表を眺めながらこの文章を書き込んでいます)。
「山下くんをいつまでも大阪に置いとくわけにいかん。今度はぜったい国会へ戻さなあかん」。つい先日も、スタッフの団結会でくり返し語ってくれていた矢野さん。最後の仕事は、本番中の私のスケジュール案づくりでした。
なんとしても日本共産党の前進をかちとり、私も再び国会に戻ることで、いただいたご恩に報いたいと思います。