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阪急とダイハツディーゼルのベテラン党員たち

2005年11月12日

 不屈にたたかいぬいたベテラン労働者党員の生き様に、あらためて日本共産党員としての土性骨をすえられた気がしました。

 4日、阪急の職場で日本共産党員として奮闘された井上省三さんの「入党50周年を祝う集い」に招かれました。大阪市内の一流ホテルで堂々と開催された集いには、大阪労連の植田保二議長、関西勤労協の吉井清文先生などの来賓、阪急の現役、OBなどたくさんの方々が参加されていました。

 井上さん自身のご挨拶や、後輩の皆さんによる井上さんの思い出話を聞きながら、胸が熱くなりました。労働組合の職場幹部として、職場の後輩たちの面倒をとことんみる、時には酒も酌み交わす井上さんが、会社側との年に一度の懇談会には顔を出すけれども、その後の酒席には一切出席しなかったこと、しかし、後輩の酒席への参加はとがめず「お前はその場に出て会社側がどんなこと言うてたかちゃんと報告しろ」という柔軟な対応もしていたこと、科学的社会主義の理論とともに、小林多喜二の研究でも第一人者だったことなどなど、大企業職場の闘争で鍛えられたベテラン党員の、人生の厚みというものを感じました。

photo そういう井上さんの“指導”を受けた後輩の皆さんが、いずれも誇らしくエピソードを語る姿に、井上さんが人間として信頼され抜いていることも伝わってきました。大先輩ではありますが、同じ党員として、私もうれしくなりました。井上さん、いつまでもお元気で、職場に強大な党を建設するために、その豊かな経験と知恵をお貸しくださいね。(写真の後列右から5番目が井上さん。2次会会場で)

 12日は、滋賀県にあるダイハツディーゼルの職場に日本共産党支部(当時は支部のことを「細胞」と呼んでいました)が結成されて40周年を記念する集いに招かれました。こちらも草津市内のホテルでレセプションです。レセプションに先駆けて「日本共産党の綱領路線と職場支部の役割」をテーマに約1時間、講演させていただきました。

 事前にいただいた資料で、ダイハツディーゼルの党のたたかいの歴史を知ってうなりました。いつの時代でも、労働者の切実な要求をとりあげてたたかい、職場に党員や赤旗読者を増やし、労働組合を御用組合からたたかう組合に変えるために、一貫して奮闘してきた40年です。その歴史の中には、不況のなかで会社側の「合理化」提案に、原則的かつ柔軟に対応し、労働者の団結と職場をともに守るという厳しい局面もありました。そうした闘争の蓄積の成果でしょう、日本の製造業の職場の多くに、派遣労働や請負労働が大量に導入されている今日でも、ダイハツディーゼルでは基本的に非正規の労働者はいないといいます。

photo 40年の歴史を振り返るベテラン党員たちの言葉にはそれぞれに重みがありました。すでにOBとなった草分け党員の石堂さんは、もともと保守的な家庭に生まれたといいます。まさか自分が共産党員になるなどとは入社したときには夢にも思わなかったそうです。それが、学歴差別などさまざまな職場の不合理を前にして、汗して働く労働者としての怒りを、職場と社会を変革するエネルギーへと高めていきます。そして先に紹介したダイハツディーゼルの党支部の闘争を引っ張っていったのです。石堂さんは、自らの党員人生に悔いはないと言い切ります。ときに声を詰まらせるその姿に、決して平坦ではなかったけれども、一筋の道を踏み外すことはなかった、自身と仲間への誇りと感謝の思いがあふれていました。(写真は、ダイハツディーゼル支部の永年党員表彰式)

 阪急とダイハツディーゼル。職場は違うけれど、“まっとうに”生き抜く日本共産党員たちには、世俗的な地位では表すことのできない人間としての魅力が、共通してあふれています。こういう人々によって日本共産党は構成され、豊かな組織として発展していることを、常に心に刻んでおかねばなりません。



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