7月2日、大東市議会議員のとよあし勝子さんのお誘いで、シンポジウム「近世河内の開発と大坂――平野屋新田会所を考える」に参加しました。
大東市の平野屋の一角に大きな樹木に囲まれたお屋敷があります。これが平野屋新田会所です。旧大和川の付け替え(1704)により開発された深野南新田などの拠点として設立され(収穫の管理に加え、庄屋・年寄り・百姓代の三役、戸籍の管理まで会所がおこないました)、現在までその姿をとどめています。地元周辺の皆さんによる平野屋会所保存推進会がつくられ、行政と市議会に会所の保存と一般公開を求めています。
シンポジウムは、大東市内にある大阪産業大学の瀬島学長をはじめ地元関係者や各大学の歴史研究者、保存推進会の皆さんなど130人もの方が参加し大きく成功しました。
大和川付け替えについては、日本共産党衆院議員だった作家の三谷秀治さんが『河内義民伝』に著しています。大和川水系のたびたびの水害に悩まされていた河内地方の人々の強い願い、今米村の庄屋・中甚兵衛らの努力と訴えが、ついに幕府を動かし、大和川を付け替えることになったことが、壮大な人間ドラマとして描かれています。その大事業と同時に進められたのが新田開発であり、大東市はまさに「新田都市」なのです。
先人たちの苦労を知ることは、ただ歴史的知識を得るだけでなく、現在その地に住むものとして、いかによいまちをつくるか、人々の共同を発展させるかを、深いところから考えさせてくれる機会となることを、シンポジウムに参加して感じることができました。ありがとうございました。
シンポジウムを中座して、午後は党大阪府委員会事務所で府委員会総会。党と後援会の努力で、6月は、党員も「しんぶん赤旗」読者も前進することができ、明るく確信に満ちた討論となりました。