2005年05月31日
日中、東大阪へ。石切神社周辺の党支部の皆さん、業者後援会幹部の皆さんと「しんぶん赤旗」のおすすめ活動。 対話の中で、戦争体験をあいついで聞かせていただきました。 「このあたりでもよく機銃掃射を受けました。アメリカの飛行機が低く降りてきて、機関銃を撃ちまくっていました。田んぼの中の水路に伏せて難を逃れたけど怖かった。戦争だけは絶対にあきません」 「若い娘時代は、袖の長い着物を着て、帯を締めて、遊びたいもんですけど、私の娘時代にそれはなかった。もんぺだけでした」 「学校で授業中に空襲警報がよく鳴りました。そしたら勉強をやめてみんな校舎の下に隠れるんです」 皆さん当時の状況を驚くほどよく覚えておられます。よほど怖くて、つらい体験だったのでしょう。それが戦争なのだと思います。そしてこの方々の平和への願いはとても強い。首相の靖国参拝や憲法改悪の動きに一様に表情が曇ります。改憲派の企ては、そう簡単に実現されるものではないことを強く感じました。 業者後援会の皆さん、浜まさゆき市議とともに、久しぶりに中小企業のまち東大阪の”ガレージ工場”を訪ねることができたのも収穫でした。狭い貸し工場がガレージのように連なる場所に立つと、機械油のニオイ。テンポよく響く金属プレス音や、唸りを上げるモーター音が耳に飛び込んできます。ごちゃっとしてるけど、活気が漂うこの場所こそ、まさに「ザ・東大阪」です。 「元気いいですね」と声をかけると、親父さんは「そうでもないで。4時間でできる仕事を6時間かけてやってる。はよ帰ったら母ちゃんに怒られるからな」と笑いながら答えます。ここの人たちには、日本のものづくりを支えてきた誇りと、何度も不況を乗り切ってきた強さがあります。何人かの若い後継者に会えたのもうれしい。きょうの「しんぶん赤旗」日刊紙の経済面にあった「高騰する原材料価格」の記事に対話が弾みました。 午前、午後の行動で、14人の方が読者になってくださいました。党東大阪地区の谷藤委員長、稲垣副委員長に電話で対話の中身を報告し、尼崎へ。 夜、本番中(6月5日投票)の尼崎市議選の演説会2ヵ所で応援演説です。今回、定数が3減って45になりました。そこに61人の立候補者。日本共産党は現有8議席の確保めざして奮闘しています。早川すすむ、田村いくお両候補の演説会に駆けつけました。 ケアマネージャーの若い女性が、「お年寄りから介護サービスの相談を受けるとき、月一万円までの利用料でプランを立ててくださいとよくいわれます。ご希望に添えるように毎日電卓をたたいています。でも本当は、電卓をたたいてサービスを削るのではなく、その人に必要な介護サービスをちゃんと受けさせてあげるのが私たちの仕事のはずです」と、高齢者の生活実態と介護保険制度の不備を告発する訴えをされて感動を呼んでいました。 「なんとしても勝利を。また来ます」と握手して記念撮影。