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お世話になった瀬尾さんの「お別れ会」

2005年05月30日

午前中オフ。午後、宮本岳志前参院議員らと国公労連でJR事故問題の懇談。再発防止のために、政府が今後何をなすべきか、つっこんだ意見交換ができました。

photo夜、お世話になった瀬尾嘉雄さんが党大阪府委員会を定年退職される「お別れ会」。今日の私があるのは瀬尾さんのおかげ、といっても過言ではありません。私が初めて選挙に立候補した1992年の参院比例代表選挙で、瀬尾さんは担当者として1年近く面倒をみてくれました。当時私は32歳。民主青年同盟の大阪の副委員長として活動していました。そんな右も左もわからない私に、選挙のイロハから教えてくれたのが瀬尾さんです。

たとえば、タスキのかけ方とマイクの持ち方。「タスキは右肩から左腰にかける。そしてマイクは必ず左手で持つ。これでタスキの文字がマイクを持つ手に隠れずに聴衆にもよく見える」。なるほど納得です。右利きの人は右手でモノを持つのが普通ですが、瀬尾さんの教え以来、私はマイクだけは左手に持つようにしています。

たとえば、活動と休息、勉強の時間の配分。瀬尾さんは「若いから走らせといたらええ」などという荒っぽい活動はさせませんでした。いくら若くても体調が悪ければ演説で人の心はつかめない、若いからこそ勉強する時間がたっぷり必要と、週に一回は休息日を入れ、大事な演説会の前には原稿準備の日程をとってくれました。

95年に参院大阪選挙区選挙の候補者になったときも、瀬尾さんは選挙事務所長を務めてくれました。若い私に激戦を勝ち抜かせるために、あらゆる知恵と力を集めてくれました。感謝、感謝です。

相手の立場に立ち、細かな心配りのできる瀬尾さん。若い頃、大企業職場で不当配転の攻撃を受け、裁判で戦った経験を持ちます。千切りキャベツをご飯にかけて食べたという経済的困窮も味わいました。そんな苦労が瀬尾さんの人柄と活動姿勢をつくったのかもしれません。

私も知らなかった貴重な体験談も聞かせていただき、とても有意義なひとときでした。瀬尾さん、長い間お疲れさまでした。本当にお世話になりました。これからもお体とご夫人を大切にされ、豊かな第二の人生を歩んでくださるよう願っています。

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