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此花区のTさんの人生に敬意

2005年05月28日

 行動の合間に聞いた、此花区のTさんのお話はとても興味深いものでした。Tさんは、私が此花区で宣伝するとき必ず宣伝カーの運転手を務めてくれる古参党員。足が良くないのに、いつも一生懸命運転してくれます。

 「しんぶん赤旗」のおすすめ活動を終え、いっしょに昼食をとっていると、ひょんなことからTさんの人生の話になりました。

 兵庫県の地方出身のTさんは、学校を出ると養鶏場に住み込みで働きます。朝4時には起きて鶏の世話をはじめ、夜寝るのは11時すぎ。二畳部屋に二人で寝起きし、お風呂も家人が終わってからなので床に就くのが遅くなる。それを毎日繰り返し、休みは月に2回だけ交代で…。「とてもつらかった」とTさん。

 しばらくして、Tさんは養鶏場を辞め、住友金属(大阪市此花区)に入社します。当時、若い労働力は「金の卵」といわれ、わりと簡単に住金(すみきん)にも入れました。

 住金で、Tさんは鋳込みの仕事に就きます。「湯」と呼ばれる溶けた鉄を、大きななべでくみ上げて、鋳型に流し込む危険な作業です。なべの内側には1千数百度の高温にも耐えるレンガが貼り付けてあります。そのレンガを修理するのもTさんたちの仕事。なべの底に降りて、レンガの隙間を粘土で埋めたり、ノズルの調整をしたりします。真っ赤に焼けたレンガは、黒くなっても温度は数百度。もたもたしているとズボンのすそが焦げたそうです。

 Tさんは手早く仕事をこなす職場の先輩を尊敬したといいます。その先輩が日本共産党員でした。

 会社の上司がTさんを自宅に招き、食事を取らせながら、「職場の情報がほしいんや」と言い寄ってきたこともありました。しかし、若いTさんは、「仲間を売り渡すようなことだけはしたらアカン」と、一切しゃべりませんでした。「当時の僕はなんにも勉強しとらんかったけど、心まで会社の言いなりになったらアカンという気持ちはありました」とTさん。

 結局、Tさんは、尊敬する職場の先輩のすすめで日本共産党に入党します。そして、同じ現場の労働者50人のうち、8割までが「赤旗」の読者になったといいます。そのことを語るTさんは明るく誇りに満ちています。

 Tさんはその後、会社の不当配転と裁判でたたかいます。考えがあって住金を退職したあとは、建設土木関係の会社に入り現場作業員に。大手建設会社の請けの仕事はきつかったそうです。40`もある機械と材料を担いで、高層ビルの階段を何回も昇り降りさせられました。「その頃の身体の酷使が、いまの足に来たのかもしれません」とTさん。

 しかし、Tさんは、持ち前の創意工夫で腕を磨き独立。建造物にドリルで穴を開け、アンカーボルトで別のものを取り付ける技術に特化して、難しい仕事がどんどん回ってくるようになります。大阪駅前の丸ビルの電光掲示板もTさんが取り付けたそうです。コンクリートに正確に穴を開けるワザについて語るTさんの表情も輝いていました。
 
 「きょうはちょっとしゃべりすぎました。私ばっかりですみませんでした」と恐縮するTさん。そんなことありません。とっても貴重なお話でした。私が知らないご苦労を、そして労働者の誇りと喜びを、よくぞ聞かせてくださいました。そんな人生を歩まれてきたことなどおくびにも出さず、宣伝カーのハンドルを握り、日本共産党のノボリを持ってくれるTさんの姿勢が、私はとてもうれしいのです。心から感動と敬意を覚えるのです。

 現在の日本共産党は、こうしたお一人お一人の人生の蓄積によって成り立っているのだと、あらためて教えられました。Tさん、どうもありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

 きょうは一日、此花区の酉島地域、西九条地域の党支部の皆さん、此花診療所後援会の皆さんとごいっしょに「しんぶん赤旗」のおすすめ活動。11人の読者が増えました。せと一正大阪市議、たつみ耕太郎府会予定候補と宣伝も。暑かったけど充実した一日となりました。
 

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