2005年05月13日
5月13日。朝から新幹線に乗って兵庫県宍粟(しそう)市議選(15日投票)の応援へ。宍粟市は4月に4町が合併してできた新しい市。初めての市議選は旧町ごとの選挙区でおこなわれます。岡前はるお(旧羽賀町、定数3)、山根のぼる(旧一宮町、定数7)、山下ゆみ(旧山崎町、定数13)の各候補とともに街頭でマイクを握りました(写真は山根のぼる候補と)。 私にとって市町村合併にともなう選挙の応援は初めて。勉強になりました。というのも、旧町ごとに選挙の争点がまったく違うのです。たとえば、旧羽賀町と一宮町では、合併にともなう公共料金の値上げがいちばんの心配。旧山崎町に合わせると水道料や保育料が一気に2倍にも跳ね上がるのです。しかし、旧山崎町ではこれは争点になりません。 面白いのは、旧羽賀町、一宮町で、日本共産党の候補者が事態をどんどん宣伝するなか、他の候補者も「公共料金の値上げに反対します」といい始めたこと。私は「旧町議会で値上げに賛成してきた人が、新しい市議会で本当に値上げにストップをかける力になるのか心配ではないでしょうか」と訴えましたが、これは説得力があります。一宮町では、演説を終わって振り返ると、畑や工場で仕事中の人がたくさん集まってくれていて、大きな拍手をいただきました。 ただ、どの候補も従来の地縁血縁による得票だけでは当選できない(定数が大幅に減ったので当選ラインがあがるため)ので必死です。政策論戦とともに組織戦でも負けないでなんとしても全員当選をと握手して宍粟市をあとにしました。 中国自動車道の山崎インターからJR高速バスに乗り、2時間半かけて大阪へ。夜、演劇「小林多喜二 早春の賦」大阪公演(6月25日、エル・おおさか)の成功をめざす「講演の夕べ」に駆けつけました。 アンケートなどで「尊敬する人は?」と問われると、私は「小林多喜二」と答えるようにしています。秋田に生まれ、小樽で銀行に勤めながら小説「蟹工船」「一九二八年三月十五日」などを書いた作家・小林多喜二(1903〜1933)は、日本共産党員でした。特高警察に捕らえられ、その日のうちに29歳の若い命を絶たれてしまいます。 私は、多喜二の作品とともに、彼の生き方、人間性に深く感動します。初月給で弟にバイオリンを買ってやり、地下活動をしながら「母さんをどこか涼しいところへつれてやってくれ」と送金するやさしさ。チャップリンの映画の一コマをまねて、まわりのものを笑わせるひょうきんな一面。活動家仲間の態度に「そんなことでは俺たちの運動がウソになる」とさとし、みずから実践するきびしさも。そんな多喜二を、母は「あんちゃんのすることは決してまちがってはいない」と信頼しぬいている…。 家族、そして同志のあり方を考えさせられます。同時に、こんなにもやさしい命を奪い、こんなにもあたたかい家族の絆を断ち切った天皇制権力に激しい怒りも。 自分をシャンとさせたい時に、私は多喜二を想います。また政治には、多喜二のような姿勢が必要だとも思います。弱い立場の人々にさらなる「痛み」を押しつける政治。その一方で、元総理が1億円受けとりながら「忘れました」とうそぶく政治。いまの政治には「やさしさ」も「尊厳」もありません。 「夕べ」では演出家の米倉斉加年さんの講演も。「いまの時代に多喜二をやってお客が入らないなら、入らないこと自体を社会に問いかけたい」というお話に演劇人としての覚悟を感じました。皆さんぜひ観劇を。
写真は「小林多喜二 早春の賦」のチラシ