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「四天王寺ワッソ」で日本外交のいまを考える

2004年11月07日

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「西淀川赤旗まつり」の模擬店を激励。左隣は西淀川後援会長の井上賢二氏=7日、西淀公園

 今日は”祭りの二本立て”でした。午前中は「西淀川赤旗まつり」へ。何回か雨で流れた今年の西淀川の赤旗まつりでしたが、今日は最高にいいお天気に恵まれました。たつみ正夫実行委員長、井上賢二後援会長、北山良三市会議員とともにステージでごあいさつさせていただいたあと、参加者でにぎわうテントをひとつひとつまわりました。

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餅つきに腕を振るう。=7日、西淀公園

 15回を数えるこのまつりはすっかり地域に定着しているようです。安くておいしい食べ物や、フリーマーケットなどを目当てに、区内各地から大勢の方が足を運んでくれます。握手をしながら会場をひと回りしましたが、すれ違う方の多くが両手いっぱいに掘り出し物を下げたり、熱々のイカ焼きをほおばったりで満足そう。ヨカッタ。だって祭りは参加者に喜んでもらうのが一番ですものね。「ええあいさつやった」「今度はがんばってや」。たくさんの激励もいただきながら、全国に誇る力をもつ西淀川の党の国政候補として恥じない奮闘をと決意を新たにしたのでした。スタッフの皆さんありがとうございました。

 午後、西淀川から向かったのは法円坂の難波宮跡公園で開催された「四天王寺ワッソ」。大阪に住む在日韓国人の方たちが中心となり、民族の誇りと韓日友好の願いを込めて、1990年から始められた祭りです。2001年から様々な事情でお休みしていたのですが、今年4年ぶりの復活となりました。

 千年以上もの昔、聖徳太子は、激動する朝鮮半島や中国など東アジアの国々と等距離外交を展開したとされます。その中心が四天王寺でした。朝鮮半島からも数々の僧や学者、技術者が渡来しました。四天王寺ワッソのいちばんの見所は、こうした歴史上の人物たちが船に乗ってパレードする「巡行」です。耽羅(たんら)、加耶(かや)、百済(くだら)、高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)の国からやってきた人物が、当時の衣装で随行者とともに行進する様はなかなか見ごたえがあります。「ワッソ」「ワッソ」という掛け声は、朝鮮の言葉で「来た」という意味だそうです。日本の祭りの「ワッショイ」はここからきたとの説もあるとか。

 「巡行」には、595年来日した高句麗の高僧で、聖徳太子の仏教の師であり政策ブレーンだったとされる慧慈(えじ)や、「論語」10巻を携え、日本に初めて漢字を伝えたとされる王仁(わに)も登場しました。それを迎えるのが、聖徳太子や小野妹子らという設定です。たっぷり二時間ちかく、日本と朝鮮半島の交流の歴史に思いをめぐらせることができました。登場人物に扮した大勢の皆さま、暑い中お疲れ様でした。

 会場には、羅鍾一(ラ・ジョンイル)韓国駐日大使、金昌植(キム・チャンシク)民団大阪府地方本部団長らの姿もありました。金団長とは以前、民団のお正月行事でお会いしたことがあります。ご招待に感謝し、羅大使を紹介していただきました。大使に名刺をお渡しし、「日韓の友好がいっそう前進するよう私たちも努力したいと思います」とごあいさつ。大使は、通訳を介して笑顔でうなずきながら握手してくれました。大使のすぐ横の席にいた新韓銀行の李名誉会長が、私の名刺を見て「(日韓友好に)政党のちがいは関係ないね」とにっこり。この方とも握手を交わしました。

 それにしても、「東アジア各国との等距離外交」に努めた聖徳太子の目には、「アメリカ一辺倒外交」に走るいまの日本の政権党の姿はどう映るのか。アジアとの交流の歴史の中心地で想像しながら、四天王寺ワッソの会場を後にしたのでした。

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