2004/03/09
いい事務所開きでした。3月6日、日本共産党・市田忠義(比例代表)・宮本たけし(大阪選挙区)の事務所開きが、300人の参加者で開催されました。私は司会を務めさせていただきました。 佐伯幸一・大阪府日本共産党後援会幹事長に始まり、各界より心のこもったごあいさつをいただきました。なかでも感動的だったのが、娘さんを25歳の若さで過労死でなくされ、裁判でたたかっている母親の村上加代子さんの訴えでした。 「平成13年に、国立循環器病センターで看護婦として働いておりました娘を25歳で亡くしてしまいました。二度と娘のような犠牲者を出したくないと、労災認定と安全配慮義務違反で裁判を起こしております。 相手は国。大変困難なたたかいをしております。 そんななかで、宮本先生の力添えにより、厚生労働省との交渉の場を持てるようになりました。まったく初めての私は、緊張しておりましたが、厚生労働省の前に、先生が笑顔で待っておられ、大きな暖かい手を差し伸べていただき握手をしていただきました。暖かいぬくもりが私に伝わってきて、緊張が少しほぐれ、ほっとしました。 これまで数回の交渉に参加していただき、厚生労働省に対して厳しく追及していただきました。また、多忙ななか、私の家までお越しいただき、娘の仏壇に手を合わせていただきました。とても優しい、温かい人柄です。 私はいままで無党派で、政治に関心がありませんでしたが、宮本先生の市民の立場に立った活動を知り、共産党は私たちになくてはならないことを身をもって知りました。この温かい、人情ある宮本先生を皆さんにぜひ支持していただきたいと思いまして訴えさせていただきました」 思いのこもったごあいさつにもらい泣きする参加者も少なくありませんでした。村上さんの話を受けての宮本たけし議員の決意表明もよかった。「日本共産党の議員は『先生』と呼ばれるのを良しとしておりません。どうぞこれからはミヤモトと呼んでやってください」と、笑いを誘いながら、悪政に苦しむ大阪府民の叫びを届ける議席をなんとしても守り抜く決意を熱く語りました。 続いて登場した市田忠義書記局長の決意表明もさすがでした。「森之宮で生まれ、玉造小学校で学びました。ふるさとに帰ってまいりました」と切り出した市田さんは、「日本共産党が党大会で決めた新しい綱領は、他党がタブーとしてきた”悪政の2つの根源”にメスを入れています。アメリカ言いなり政治と財界の横暴な支配です」と述べ、日米安保条約をなくし本当の独立国をめざすこと、大企業のほうに顔を向けるのではなく、国民のほうに顔を向けるなら、誰もが安心して老後を迎えられる最低保障年金制度をつくる財源は出てくることをわかりやすく説きました。年金のくだりはそのままビラにしたいと思うほどでした。 わずか40分ほどの事務所開きでしたが、とても中身の濃い、しまったものになりました。大阪の党と後援会のなかに「今度こそ勝ちたい」という気持ちと行動が急速に高まりつつある反映でもあると思います。 事務所開きの途中小雨模様になったのですが、最後は温かい日差しのよいお天気に。選挙の経過と結果もこうありたいものです。