西淀川区にお住まいの森岡ご夫妻を訪ねました。8年前、妻の比佐代さんは病気で脊髄を損傷し、下半身が不自由に。以来、夫の東(あずま)さんが献身的にお世話をされています。「ひさしぶりやねえ」。ベッドの上の比佐代さんは明るい笑顔で私を迎えてくれました。ベッドの横には車椅子があります。
「障害者になってみてはじめてわかった。『バリアフリー』という言葉がなくなる社会にしなあかんと。この言葉があるということはまだバリアがあるということやから。たとえばメガネをかけてる人が普通にどこでもいけるように、車椅子に乗ってる人がどこでもいけるようにならんとね」
「現状はまだまだやわ。スーパーマーケットには必ずエレベーターと車椅子用の駐車スペースをつくらなあかんようになったけど、あっても小さいので車椅子が回転できへん狭さのものもある。レストランにはまだない。駐車場が1階で、階段上がって2階がレストランっていうお店多いでしょ。エレベーターがなかったら私らには使われへん」
なるほど、そういうスタイルのお店なら私もけっこう利用していますが気が付きませんでした。反省です。比佐代さんは続けます。「私らが楽ということは、お年寄りや子ども連れのお母さんも楽っていうことやんか」
確かにそうです。私も妻と一緒に生協のお店に買い物に行くことがありますが、そのときは必ずエレベーターを利用します。まだ2歳の三男を連れ、荷物をたくさん抱えて階段を上り下りするのはさすがにしんどいし危険だからです。あらためて考えさせられました。障害者にやさしいということはすべての人にやさしいということなのだと。
比佐代さんは、最近、病院の脊髄損傷患者の受け入れ体制が弱くなっていること、リハビリ訓練の時間が以前の1回30分から1回15分に縮められていることなども教えてくれました。「私らにとってリハビリ訓練はとても大事。こうやってベッドから車椅子に移るのも簡単そうに見えるか知れんけど訓練せんとできんのよ」。身体を動かすしぐさをしながら彼女はいいます。「けど病院だけの責任やない。政府の診療報酬改悪がおおもとにある」
短い時間でしたが、話し終えた比佐代さんはまた笑顔。「あー、聞いてもらえてよかった」。本当によかったと感じていただくためにも、なんとしても国会に戻らねば。比佐代さん、東さん、とても貴重なお話をありがとうございました。
※写真は、森岡さんと「バリアフリー」で話す山下よしきさん