2011年12月11日
★11日午前、新婦人大阪府本部の大会に来賓として出席しあいさつ。5分間の短いあいさつでしたが、拍手と笑い、「待ってました」「そのとおり」などの掛け声も飛んでとてもしゃべりやすかった。
新婦人のみなさんは、女性のありとあらゆる要求をまるで百貨店のようにとりあげ、仲間を増やしています。大阪に独裁政治を許さない、民主主義を守るたたかいでも大きな力を発揮されました。会場全体にみなぎる大阪の女性パワーを肌で感じ、私のほうが元気になりました。
★午後、大阪府和泉市でおこなわれた阪口喜一郎碑前祭に出席しました。阪口喜一郎は、1902年1月、現在の和泉市に生まれ、高等小学校を卒業後、呉海兵団に入団。1930年、海軍の中で社会科学研究会を組織し、兵営内外の反戦・抵抗運動の中心的役割を果たしました。
1931年9月の満州事変、翌年1月の上海事件を受けた、海軍陸戦隊2800名の上海派兵決定に対し、「中国出兵反対!水兵の待遇改善をせよ!」を掲げて、1932年2月に反戦機関紙「聳ゆるマスト」を創刊。6号まで作成・配布されました。
軍隊内で反戦・平和を訴えた阪口喜一郎の足跡を学び、顕彰の輪を広げることは、戦前の翼賛体制を想起させる今日の情勢のもとで特別の意義があります。
碑前祭には、阪口喜一郎の甥に当たる方、高等小学校の同級生のご子息はじめ地元のみなさん、呉軍港のあった広島のみなさんなどがあつまりました。
日本共産党に入党(1931年12月)、憲兵隊に逮捕され獄死(1933年12月)した阪口喜一郎の遺志を受け継ぎ、歴史が求めるにふさわしい強大な党を建設することを誓ったのでした。