「原爆訴訟ヒロシマ」勝利報告集会であいさつ 3男の感想は…
2010年07月31日
広島市内のホテルで開かれた「原爆訴訟ヒロシマ」勝利報告集会&パーティーに出席し、政党代表としてあいさつさせていただきました。(私のあいさつは「ニュース」の欄にアップ)
集会に先立ち、何年ぶりかで広島平和記念資料館をたずねました。改装された展示室はとても見やすく、夏休みということもあって親子連れや若者がたくさん来館していました。入館料は大人50円、子ども30円。被爆の実相を広げようという姿勢がここにも表れています。
広島での原爆症の認定を求めるたたかいは、原告64名の「命をかけた人生最後のたたかい」であり、7年余に及ぶ長く厳しいたたかいでした。原告団を代表して玉木春英さんが、「政府との確認書で約束したことを実行させるさらなる努力が求められています。今後とも被爆者援護・救援にご支援を」とあいさつと謝辞。
世話人代表の田村和之さん、広島弁護団団長の佐々木猛也さん、全国弁護団事務局長の宮原哲朗さん、法廷で証言に立たれた広島・福島生協病院前院長の斉藤紀さん、同じく気象学者の増田善信さんと記念撮影。お一人お一人のあいさつ・報告は思いのこもった感動的なものでした。
全国弁護団の宮原弁護士は、「果たして裁判に勝てるのか?申請者は現れるのか?」と悩んだが、「私たち被爆者は裁判に負けることは恐れない」との言葉に勇気づけられたと語りました。
数百ページに及ぶ意見陳述書を書かれた生協病院の斉藤先生は、「大きな声で叫ぶだけでは勝てない。科学、医学の立場からの証明が必要だった。ABCC(米占領軍が設置した原爆障害調査委員会)の資料を使って意見陳述した」と振り返りました。
気象学者の増田先生は、「黒い雨の研究で忘れられない人がいる」として、「黒い雨の調査には迷惑している。雷や竜巻があんなきれいなタマゴ型の地域に降ると思いますか」と語った被爆者の話を紹介。頭を殴られた思いがした増田さんは自分の責任で調査しなおすことに。被爆40年目から再調査をはじめ、たくさんの証言を集めました。
弁護士、医師、科学者…それぞれの専門家が、被爆者の生の言葉に勇気づけられ、衝き動かされて、原爆症認定のたたかいがすすんだことを知りました。
党広島県委員会の村上委員長、広島市議団のみなさんと記念撮影。
集会終了後、大阪から出てきた3男・妻と合流。
息子と一緒にもう一度資料館を見学。「原爆はどうやって爆発するん?」「なんで原爆なんかつくったん?」が小3の息子の感想・疑問でした。