2009年03月16日
新潟県佐渡市で曽我ひとみさんにお会いしました。参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会の視察です。拉致現場に立ち、曽我ひとみさんと懇談して、人権侵害の事実と罪の深さをリアルに感じました。
朝7:08発の上越新幹線で新潟へ。新潟港からジェットフォイル(水中翼船)で佐渡に向かいます。
佐渡は日本でいちばん大きな島(沖縄本島をのぞく)。標高1,000メートルを超える大佐渡山脈には雪がかぶっていました。新潟港から1時間で佐渡・両津港に到着。
両津港から貸し切りバスで30分。曽我さん母娘が拉致された現場(佐渡市真野)で、新潟県警から説明を受けました。1978年8月12日夕刻、自宅から400メートル離れた雑貨店に買い物に出かけた帰り、曽我さん母娘はこの路上で、後ろから近づいてきた北朝鮮工作員によって拉致されました。
近くのホテルの7階から見下ろすと、拉致現場の全景がよくわかります。すぐそばを川(国府川)が流れています。
川はすぐ日本海へとつながっています。
藤田幸久委員長(民主)が県・市・県警にごあいさつ。
新潟県の鶴巻嗣雄・知事政策局長から、政府が認定した拉致被害者17名のうち、曽我ひとみさん、曽我ミヨシさん、蓮池薫さん、蓮池祐木子さん(旧姓奥土)、横田めぐみさんの5名が新潟県に関係していることなどを聞きました。
佐渡市の高野宏一郎・市長からは、曽我さんのご家族の現在の様子と、生活支援の内容、来年で期限切れとなる給付金の問題などを聞きました。私が、給付金の延長の必要性を質問すると、日本での生活を全く経験していない夫・ジェンキンスさんや2人の娘さんの様子を紹介しながら、「給付金を延長していただきたい」とのお答えでした。
続いて、曽我ひとみさんと懇談。曽我さんはたいへん謙虚な方で、私たちの訪問に対し感謝の言葉を述べたうえで、現在の仕事(老人介護)のことや、母・ミヨシさんへの思いなどを語ってくれました。
「一日も早く、母と温泉に行きたい」「娘に、何でも話し合える友達をつくってあげたい」などの言葉に、曽我さんとご家族にとって、24年間は本当に大きな空白だったことがよくわかりました。
私は「娘さんのことがいちばん心配ですね。私たちも一緒にがんばります」と声をかけて握手。
新潟・佐渡から国会へ戻り、夜、明日の総務委員会での質問の詳細を政府に通告。