3月1日、父・博美(ひろみ)が他界しました。87歳でした。
父は、生まれてから亡くなるまで、銀行員として他の県や町に赴任した数年間を除き、80年近くを香川県善通寺市与北町(よぎたちょう)に住み、学び、働いてきました。まわりに気を配りながら、人を楽しませるのが好きだった父の人柄は、この地で育まれたものだと思います。
金融労働者として現場の最前線で働く父の姿は、息子の私たちから見ても生き生きとしていました。共働きだった母は苦労したと思いますが、夜遅くまで職場の仲間との付き合いも大切にする人でした。
父は、自然が好きでした。自宅近くの低山を、幼い私や弟を連れて3人で縦走した時の写真が残っています。職場の同僚との山や川でのキャンプには必ず私たちを連れて行ってくれました。
晩年の父は、庭いじりとカラオケが趣味でした。ご近所や友人・知人宅の庭木を剪定したり、カラオケ同好会の仲間と遠方の大会に出場したりしていました。仲間のなかでは「与北のサブちゃん」と呼ばれていたそうです。
私が国政に挑戦するようになってから、父はその最大の応援になると考えたのでしょう、自ら日本共産党の一員となりました。高松で国会議員の演説会があれば、地元党支部の方と一緒にバスに乗って参加し、選挙になれば一所懸命支持を広げてくれました。息子として、同志として、大変ありがたく心強かった。
葬儀の遺影として使った写真は、最近の中でいちばんいい表情をしているものを選びました。2年ほど前、母が入所施設から久しぶりに自宅に戻ったときに、母と並んで腰かけ、仲良く手を握って撮った写真です。父の右側には母がいるのです。
通夜の前に、入院中の母を弟と訪ね、父が亡くなったことを伝えました。認知症が進行し、ほとんど意思疎通できない母ですが、父の死は理解したようで、大きく目を開き、何かを訴えるように口を動かし、声を出していました。私たちには「お父さんありがとう」と言っているように聞こえました。これからは、父の分もあわせて、母への愛情を注ぎたいと思います。
最後になりましたが、地元自治会をはじめ、生前父がお世話になったすべての皆様に、心よりの感謝を申し上げます。また、参院で予算審議が始まり、党本部で全国会議がおこなわれるなど大切な時期にもかかわらず、父のそばにいることを許してくれた仲間の皆さんにも深く感謝いたします。