2008年08月15日
HPで抜粋された3人の戦没学生の遺稿を読んだだけでも、戦争に直接関与していない今の日本、そして曲りなりですが、自由主義(民主主義)を手にした今の日本、それがどれだけ幸せなことかつくづく実感させられます。一方で戦没学生と同世代となる今の日本の若者の少なからずの方々で、戦争で死ななければならなかった(本当は死ななくてもよかったハズなんですが、そこがとても悔しく無念)若い戦没者の方々に対する論調でとても気になるものがあります。「きょう(8月15日)は、自分と同じ年ごろの若者が家族のため、国のために命を散らした英霊の魂が帰ってくる日」 ( http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200808150069.html )『きけわだつみのこえ』を読む(私は一部分だけですが)と、それは文章が少し違うことに気づきます。そして、その意味が実は全く違ってしまうことに気づいて驚きます。学生戦没者の方々の当時の心境を正しく憶おおとすると、すこし言葉を補う必要があると思いました。「国のため [ だと思って] ...」たった五文字です。ですが、その意味は全然違ってきます。戦没学生の方々が思い描いていた国とは、当時の大日本帝国とは全然違っていました。そして当時の戦没学生の方々はそれを自覚されていました。またその上で、国のためと言って死んでいた、尊いその死を、いったいどのように利用されてきたか?英霊と呼ばれたら、果たしてその無念は晴らされたでしょうか?戦没学生の方々の無念を晴らすためには、英霊と呼ぶのではなく、「今の日本国憲法は、あなた方の尊い死の代償で得ることが できました。」と、そう伝えたいと思います。戦没学生の方々が、今の日本国憲法を読まれたら、どんなにか喜ばれたことでしょう。その日本国憲法を大切に守って、世界に広めることが、甚大な犠牲を払ったすべての戦没者の方々に報いることだと思いました。いわゆる平和ボケで、普段こういった事をあまり考えていなかったのですが、とてもよい機会となりました。いつもすばらしい記事を、有難うございます。追伸:「『きけわだつみのこえ』を再読」を読んで一つ教えていただきたいことがありました。「わだつみ」とはどう言う意味でしょうか?広辞苑等で調べると、「海神」を「わだつみ」とも読んでいるようですが、遺稿を書いた75名の戦没学生の方々の多くが、海上で戦死したからなのでしょうか?もし「海神」だとすると神道的であり、どこか軍国主義とつながりそうで、現代の感覚では、少しだけ違和感を覚えたりします。遺稿が刊行されたのが1949年となっていますが、当時としてはなんら違和感はなかったということでしょうか。それだけ、神道と日本国民の関係が現代とは違っていたんでしょうか。どうでもよいこですが、知的好奇心から、ちょっと興味を持ちました。