2010年06月29日
東京は燃えています。朝の駅立ち(辰巳駅)から、20人を超える地域・職場後援会のみなさんが雨にも負けず、元気に声を出してビラを配ってくれました。区役所前(葛飾区)にも大勢の支持者の方がわざわざ演説を聞きに来てくれました。宣伝カーのアナウンスからは「小池落としてなるものか」の気迫が伝わってきました。
そんなみなさんの熱気が私にも影響しないはずがありません。江東区、葛飾区、江戸川区の8カ所でマイクを握りましたが、とっても気合いが入りました。演説で気合いほど大事なものはありません。私はよくパネルを使うのですが、パネルもいいけど、それ以上に聞く人の心をつかむのに必要なのは、「どうしても私の話を聞いてほしい」という気持ちだと思います。
駅前ロータリーでバスを待つ人たちに、私の気持ちが伝わるのが宣伝カーの上からよくわかりました。ベンチに座っていた多くの人が、だんだん身を乗り出し、私の方に顔を向け集中して聞いてくれるのです。
「庶民には消費税増税を押し付けながら、大企業には減税。それはあかんと思いませんか?」
「止めることができるのは国民です。東京でも全国でも共産党を伸ばすことです」
「うばすて山行きのバスを止めると約束していたのに、4年間走らせますというのはひどい」
「長生きは尊いこと。75歳以上のお年寄りの医療費は国の責任で無料にしようではありませんか」
「財源は大丈夫です。年間5兆円の軍事費と、大企業・大資産家への行きすぎた減税にメスを入れれば、消費税増税なしに7兆円の財源をつくることができます」
一言一言に気持ちをこめて全身で訴えました。
反応が強かったのはやはり暮らしの問題です。
葛飾区亀有駅前で、バス停で立ったままこちらを見ながら最後まで聞いてくれた40代の男性に声をかけると、「僕はここ(日本共産党)に決めています。これまで無党派でした。理由は後期高齢者医療制度です」とのことでした。
同じく亀有駅前で、宣伝カー車長が声をかけた別の青年も、「これまで2回しか選挙に行ったことがありませんが、いまの演説を聞いて共産党にに入れることを決めました。後期高齢者医療制度はひどい」と語ってくれたそうです。
江戸川区篠崎駅前では、バイクにまたがったまま聞いてくれていた(ように見えた)男性に声をかけると、「すいません。ほかの事を考えてました」というので、「いま政治に何を期待しますか?」と聞くと、「先行きが不透明です。大手電機メーカーで働いていたのですが、残業代を払ってほしいというと『君は請負だから』といわれたり、いつの間にか派遣にされたりで辞めざるをえませんでした」とのことでした。若者の2人に1人が非正規という現状は、政権交代しても何も変わっていません。
同区瑞江駅前でも、バス停で立ったままこちらを向いて聞いてくれた青年に声をかけました。「もっと聞きたいと思いました。まだ支持するところまではいきませんが、法人税の話はそのとおりだと思いました」といってくれました。時間がなかったのでHPで詳しい政策を読んでほしいと伝えました。
街頭の空気で共通しているのは、有権者は「聞く耳」を持っていること、そして、深いところで暮らしの要求が渦巻いていることです。
そこに心を寄せ、心をこめて訴えるなら、東京での議席奪還と比例での躍進をかちとることは可能です。そのことを確信することができた東京での活動でした。
◆きょうのニッコリ◆
葛飾区亀有駅前では「両津巡査」も手を振って応援してくれました。
◆きょうの再会◆
江戸川区の駅頭宣伝で西田みよ子元都議と再会しました。じつは1984年の東京都議選、初めて出馬された西田さんを応援しようと、大阪の民青同盟の仲間たちと上京して江戸川区に入ったことがあります。
当時、私は大阪の民青同盟の仲間と「ザ・コンミューン」という漫才コンビを組んで政治漫才をやっていたのですが、せっかくだからと、確か小岩駅前で宣伝カーの上で漫才をやって西田さんを押し上げました。通りがかりの青年から「サインください」といわれたことを覚えています。
その甲斐あって西田さんは見事当選。以来4期16年東京都議として活躍されました。「あのときはありがとうございました」と西田さん。覚えていてくれたんですね。26年前、漫才したのと同じ場所で歴史的な政治戦のマイクを握ることができ感慨深いものがありました。