2010年01月03日
持つべきものは旧友ですね。日帰りで小学校時代の同窓会に参加してきました。30年ぶり以上の再会という友人が多かったのですが、「あーっ、○○ちゃん?」と小学生の頃の面影がいまの姿に重なり、いっぺんに時を乗り越えて話が弾みました。気がつくとあっという間に4時間が経過していて、あやうく列車に乗り遅れるところでした。
うれしかったのは、担任の先生がお二人ともお元気でいてくださることと、クラスメートがみんな“いい顔”になっていたこと。県庁、JR、本州四国連絡橋会社、郵便局長、診療所事務長、自動車学校教官、一級建築士、看護師、栄養士、人工衛星開発者、電気工事店経営、衣料品製造販売会社など、それぞれが社会の各分野の第一線で活躍していました。
田舎の小さな小学校で、同学年の34人が小学校の6年間、幼稚園時代も含めると8年間、同じクラスでした。私は父の仕事の関係で小学4年から中学1年まで故郷を離れましたが、それでも「よしきちゃん」とみんなが呼んでくれるのは、そうした濃密な関係があったからです。
「幼稚園の頃、いっしょに遊具で遊んでて、雨傘の柄折ってしまったのごめんな」「そんなことあったっけ?私こそ、山下君を押入れに閉じ込めて宿題をやらせたのごめんね」という具合に、なんの見得も遠慮もなく、なつかしい思い出話と互いの近況報告に花がさきました。
当然、私に対しては、「どうして国会議員になろうと思ったん?」「なんで共産党なん?」から始まって、「このデフレどうする?」「たしかに資本主義はいきづまっているけど、そのあと共産党はどうしようとしてるの?」「ここが悪いという批判だけでなく、こうしたらようなるということを示してくれ」などの質問・意見が飛んできました。
議論がすすむにつれ、「なるほど、簡単なことや。労働基準法を元に戻すこっちゃな」「たしかにヨーロッパではマイスター制度があって技能のある中小業者は大事にされている。日本もそこを大事にせんとつぶれる」「診療報酬は10%ぐらい上げてもらわんと困る」と一致点もたくさん生まれました。
こんな話ができるのも同窓生だから。同時に、これは国民みんなが考えていること。演説のヒントももらえて実り多い同窓会となりました。お互い元気にやって、また会おう!