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銚子市立総合病院休止問題で現地調査

2008年12月05日

photo 日本一の水揚げ量を誇る銚子港やしょうゆ醸造で知られる千葉県銚子市(人口7万3千人)を訪ねました。銚子市立総合病院が休止になった問題を調査するためです。

 今年の7月7日、岡野俊昭市長は突然、市立総合病院の9月末での休止を発表。驚いた市民は「病院の存続」を求め、市長に4万8千筆もの署名を提出しました。しかし、市長は8月に臨時議会を招集し、病院休止関連議案を提案、13対12の1票差で可決され、休止が強行されました。現在、市民による市長リコールの署名がとりくまれています。

photo まず、銚子市役所で病院問題を担当している大川貢一・行政改革推進監より、病院の概要や財政状況、休止に至る経過と今後の対応について説明を受けました。常勤医師の急激な減少(06年35人が08年17人に)、それにともなう入院・外来患者数と収益の減少、診療報酬の引き下げが、病院運営に大きく影響したとのことでした。全国の公立病院とまったく同じです。 

photo 9月30日で休止され、医師、看護師は退職、患者もいなくなった病院ですが、10月下旬に「銚子市病院事業あり方検討委員会」が立ち上げられ、その結果、指定管理者制度(公設民営)による「市立病院再開」の方向が出され(11月25日)、昨日(12月4日)の議会でそのための条例案が可決されたと聞いて驚きました。

 なんとも一貫性のないドタバタした対応です。メディアでも報道されていましたが、やはり市立総合病院の突然の休止に対する市民の批判が強烈だったのでしょう。市民にとって病院の存廃はそれほど大きな問題なのです。

 続いて、医師確保など市立総合病院の存続に尽力されてきた元病院事務局長の高城順吉氏、市長リコール署名運動をすすめる「何とかしよう銚子市政」市民の会・代表の茂木薫氏にお話をうかがいました。

 「5年前までこんなことはなかった。これは国政の問題です」と高城氏は切り出しました。全国的に、公立病院の経営が地方財政に決定的な影響を与えるまで悪化したのは5年ほど前からであり、直接的には04年に始まった新医師臨床研修制度で大学医局の医師派遣機能が弱まったこと、05年の診療報酬改定で大幅マイナスとなったことがあると指摘します。

 そのうえで、より根本的には、毎年2200億円もの社会保障予算を削減する路線のもと、「医師は偏在」として「医師不足」を認めず医師数を増やさなかったこと、「地方分権」のなかで地方にお金を回さず、逆に交付税を大幅にカットしたこと(銚子市は年間60億円の交付税額が3〜40億円まで減ったそうです)があるとも。

 「去年、医師を確保するのは本当に大変だった。こういう状況を誰がつくったのか。国ですよ。そこを直してくれないと」との高城氏の言葉は、そのまま全国の公立病院関係者の叫びに聞こえました。もちろん、先日訪ねた大阪・松原市にも、ここ銚子市にも、市長の対応など個別の問題はあります。しかし、全国の公立病院をここまで深刻な経営危機に陥らせてきた根本には、国の医療費抑制政策、地方切り捨て政策があるのです。

 そこを反省し転換しないまま、いくら「公立病院改革ガイドライン」で「経営効率化」を求めても、地方財政健全化法で「連結決算」を導入しても、小手先の対処療法にしかならず、休止や閉鎖に追い込まれる公立病院は増え続けるでしょう。そんなことは絶対に許されません。

photo 昨年、銚子市立総合病院の経営がピンチになったとき、市民からの支援が相次いだそうです。市内の中小企業経営者の方などが、古くなった病院の内装工事を申し出て1000万円相当の寄付をされました。匿名の4人からは1200万円の大口の寄付がありました。高額な医療機器を支援された方、草刈りの奉仕をしてくれたシルバー人材センターの方々など、どなたも「この病院でお世話になった」「病院を残してほしい」という思いからの行為でしょう。(写真:病室のピンクのカーテンも白い壁も市民の寄付による改装です)

photo そんな市民の思いに応えて、佐藤博信病院長(当時)も高城事務局長(同)も、医師をなんとか確保し、高齢者の多い銚子市の現状をふまえてリハビリ病棟や療養病床を開設するなど、病院経営の健全化に奔走されてきたのです。まさに、市民と病院スタッフの共同による市立総合病院再生物語です。それだけに、突然の休止はさぞ残念だったことでしょう。(写真:病院の外観は古いが、なかは本当にきれい。もったいない…)

 いま、市民の中からは「自分たちはどこで死んだらいいのか」「リハビリに行くところがなくなった」「近いうちに銚子から出ようと思います」など悲痛な声がでているそうです。政治にたずさわるものとして胸が痛みます。この声をしっかり受け止め、国政に生かさねばならない――そんな思いを強くしながら銚子のまちを後にしました。

 調査には、日本共産党銚子市議団の三浦真清、笠原幸子、吉田忠三の3氏が同行してくれました。お世話になりました。

photo きょうは朝、参院本会議。レンタカーを借りH秘書の運転で10:30国会を出発。13:00前に銚子着。調査を終えて17:00市役所を出発。ところが、週末の5・10日と強い風雨が重なり道路が渋滞。18:30成田発の飛行機に間に合わず、そのまま東京駅へ。20:20発ののぞみに飛び乗り帰阪。自宅着は午前0時でした。銚子は思った以上に遠かったです。



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