あったか連帯ウェブ---山下よしき
トップページへ メッセージはこちらからどうぞ サイトマップ 記事検索
特集
原点・山下よしき

新しい政治の流れ
演説・論戦・講演
活動
活動記録
いつも現場に
総選挙2003
プロフィール
ごあいさつ
略歴
ご案内
事務所のご案内
リンク集
新聞赤旗 日刊紙 日曜版
見本紙
購読

よしきからあなたへ

不戦の誓いが揺れている――戦没者の妻への給付金問題

2008年06月14日

 岩手・宮城内陸地震で亡くなった方にお悔やみ申し上げるとともに、被災された皆様にお見舞い申し上げます。日本共産党は、国会・地方議員団を先頭に直ちに救援活動に入りました。

photo 午前中、藤田スミ元衆院議員はじめ大阪戦没者平和遺族会の代表から要請を受けました。内容は、政府が戦没者の妻・遺児に対し10年に1度支給している「特別給付金・弔慰金」をめぐり、93年と03年の支給で延べ2万1千人分、410億円が対象者に支払われないまま時効になってしまった問題。

 戦没者の妻が受けてきた精神的苦痛を国として慰謝するため、1963年に制度が始まって以来、10年おきに計5回実施され、支給額も20万円(10年間で)、60万円、120万円、180万円、200万円と増加されてきました。ところが、対象者への通知もないまま、「申請主義」を盾に未申請者が放置され、多額の未払いが生まれたのです。

 「昭和38年にもらって以降、去年6月の新聞報道で知るまで1円も1回ももらっておりません。制度は1回きりで終わると聞いていましたもので…。働かなければ食べられないので、娘が結婚するまで勤めておりました。孫ができて台所仕事を手伝うために引越しもいたしました。その間、お知らせもなしでした。市役所で調べてもらっても『もう時効ですから、どうにもなりません』とのことでした。昔のあたたかーい、大岡越前のようなお裁きは望めないのですねえ」

 86歳におなりのSさんが語ってくれました。「夫は背が小さく近眼でしたので兵隊にはなれませんでした。それが1銭5厘の赤紙が来て昭和20年に召集されました。兵隊用の服もなくて、近所を駆け回ってみすぼらしい服を買って着せました。三月(みつき)召集といって三月したら帰ってくると聞いて、それまでの間子どもを辛抱して育てようと思っておりましたが、下の子はチフスで死んでしまいました。兵舎に入ったときは2等兵。1年足らずで死んで、死んだら1等兵になりました。弾除けにでもされたのだと思います。だから遺族年金でも何でも本当に少なかった。年額65円でした」

 お話を聞きながら思いました。これはお金の問題ではありません。国家が始めた戦争で愛する夫を取られ、亡くした人たちに対する姿勢の問題です。そして、二度と戦争はしないと誓った日本国憲法の誓いの強さの問題です。その立場から、問題解決に取り組みたいと思います。貴重なお話をありがとうございました。

photo 午後、「奈良と日本の医療を考えるシンポジウム」。奈良県保険医協会副理事長・とみお診療所所長の市川篤先生、医療法人健生会理事長・土庫病院大腸肛門病センター所長の稲次直樹先生、医療法人岡谷会理事長の岡谷鋼先生、助産師・看護師の上林美佐子さんという奈良県の民主的医療界を代表する方々が勢ぞろいする豪華キャスト。160人の参加者で会場は超満員。とても充実した討論ができました。

photo 夕刻、近鉄奈良駅そばで街頭宣伝。豆田よしのり衆院比例候補、井上良子衆院奈良1区候補と。後期高齢者医療制度の廃止と奈良市のシルバーパスを守る署名の反応は上々でした。

photo 近鉄電車に乗って難波へ。マルイ前で街頭宣伝。宮本たけし衆院比例候補、くちはら亮大阪府議、尾上やすお大阪市議と。「蟹工船」ブームと青年雇用問題の訴えを若者たちがよく聞いてくれました。



ぜひ、ご意見・ご感想をお寄せください
 
ひとつ前のページに戻る
特集
Copyright (C) YAMASHITA YOSHIKI All rights reserved.