きょうは「昭和の日」。昭和天皇の誕生日にあたる日です。2000万人のアジア諸国民と310万人の日本国民を犠牲にしたアジア・太平洋戦争。その最高責任者が昭和天皇でした。
昨日、旧日本海軍の「特殊潜航艇」の乗組員としてオーストラリアのシドニー湾に沈んだ芦辺守1等兵曹の話を、和歌山市に住む弟の芦辺五男さんからお聞きする機会がありました。
1942年5月シドニー湾で豪海軍宿泊船を魚雷で撃沈したのち、芦部さんのお兄さんが乗った特殊潜航艇は行方不明となっていました。その特殊潜航艇が、2006年11月、64年ぶりにシドニー湾沖で発見され、メディアでも大きく報道されます。
享年24歳。負けん気が強かったというお兄さん。そんな若者たちが、日本からはるか南、シドニー湾まで侵攻しなければならなかったのはなぜか?多少の波浪での航走支障、母艦に帰るだけの距離を出せない動力源の電池性能、換気性ゼロなど、欠陥だらけの不完全兵器に多くの若者たちを乗せたのはどうしてか?
突き詰めればすべて「忠君愛国」という言葉に行き当たります。その「君」は、結局自らの責任をひとことも語らないまま、1989年1月「崩御」しました。
芦部さんの5人の男兄弟はすべて戦争に行き、帰って来たのは五男さんただ1人だったそうです。オーストラリア政府から贈られたというお兄さんが沈む海底の砂を見せていただきながら、二度と戦争を起こす世の中にしてはならないと心に誓ったのでした。
(写真:私の右が芦部五男さん、左が紹介してくれた松田長敬さん、右奥に兄・守さんの遺影)