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『戦争と放送』…貴重な本です 「放送法改正案」で質問

2007年12月12日

 貴重な本でした。『戦争と放送』(竹山昭子著、1994年)。きょうの「放送法改正案」に対する質問のなかで紹介させていただきました。

photo 著者の竹山昭子先生は、女学校(中学)に入った年の12月、太平洋戦争の開戦を告げる「本八日未明、西太平洋に於いて、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」との大本営発表をラジオニュースで聞いたそうです。そして終戦の日の「玉音放送」も…。

 その後、東京放送(TBS)に勤務し、昭和女子大学の教授となり、太平洋戦争下の放送の実態を原史料や関係者の証言によって検証するこの本を著されました。『戦争と放送』は次のように述べています。

 「1925(大正14)年にラジオ放送を開始して以来、戦前、戦中のわが国のラジオはジャーナリズムではなかった。ジャーナリズムたり得なかったといえよう。ジャーナリズムの定義を『時事的な事実や問題の報道と論評の社会的伝達活動』と定義するならば、戦前、戦中のラジオには『報道』はあっても『論評』はなかったからである。報道と論評を車の両輪とするならば一方の車輪がまったく欠落していた。さらにその報道も、放送局独自の取材による報道ではなく、太平洋戦争下では国策通信会社である同盟通信からの配信であり、放送は政府・軍部の意思を伝える通路にすぎなかった」

 重い叙述です。日本とアジアのあまたの命を奪った戦争というおろかな行為に、この国の放送は深くかかわり、人々の考え方や心情に強い影響を与えました。こうした戦前・戦中の放送の痛苦の教訓をふまえて、1950年に制定された放送法第1条第2項には、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と明記されたのです。放送行政を所管する増田総務大臣にその重い意味をただすと、さすがに「委員おっしゃるとおり」との答弁でした。

 もうひとつ。『戦争と放送』によると、戦中の日本放送協会(NHKの前身)会長の小森七郎は、1942年1月1日、「聴取者の皆様へ」と題する放送で次のように述べたそうです。

 「昨年12月8日、我が国が遂に多年の宿敵、米英に対し戈(ほこ)を執って立つに及びまするや、我が放送事業もまた即時これに対応する新たなる体制をとるに至ったのであります。――番組内容はことごとく戦争目的の達成に資するがごときもののみと致しました。――私共全国5000の職員はこの重大なる使命に感激しつつ、いよいよもって職域奉公の誓を固くし、全職員一丸となって懸命の努力を致しておるのであります」

 まさに政府の戦争政策への放送の同調宣言です。こうしたNHK自身の苦い経験を経て、放送の自由がうたわれたことを忘れてはなりません。NHK橋本元一会長にその認識をただすと、これまた「委員おっしゃるとおり」とのことでした。

 きょうは、こうして戦争と放送の歴史的教訓を確認したうえで、法案の問題点について質問しました。夜は、新テロ特措法案反対のデモを参院議員面会所前でお出迎え。

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