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こんな蟻地獄を許してはいけない! 登録型派遣の青年からききとり

2007年10月27日

 凄まじい体験談でした。登録型派遣労働者として働いてきたひとりの青年(30)からその3年あまりの様子を聞かせてもらいました。高校卒業後8年間勤めた会社を事情があって辞めた彼は、「ちょっとつなぎで」と軽い気持ちで派遣元会社に名前を登録します。しかし、それが地獄の始まりでした。

▼ 食品工場の洗浄作業と聞いて派遣元の事務所に行くと、「その話はなくなりました。いまから○○に行ってもらいます」と運送会社でのコンテナの荷下ろし作業に行かされた。港から上がった1袋30kgの小麦粉をひたすらパレットに積み上げる肉体労働。息を切らしていると、ぶっ倒れた人といっしょに、「ちょっと来い。お前ら使いもんにならん。帰れ!」と。よくある話で使えんやつはいらんという世界。

▼ けっこうあちこちに登録していたがほとんどが現場作業。デスクワークはないに等しい状況だった。

▼ 「月収25万以上」とあっても20万円あったらいいほう。富山のNECに派遣されたときは「月20万」とあったが10万円あるかないかだった。家賃3万数千円、水光熱費1万円、備品代などが天引きされた。12時間昼夜2交代制で、昼勤、昼勤、昼勤、休み、夜勤、夜勤、夜勤、休みの「3勤1休」だった。

▼違法な「事前面接」もあった。派遣元の指示で6社に面接をさせられ、結局、「ごめんなさい。この話はなしです」となったときも、賃金も交通費も手当てゼロだった。「自分はどこまでも剥かれるタマネギの皮か」「ピエロにされてる」と思った。他の派遣仲間も同じだった。でも派遣元には文句言えない。クビになるから。

▼−20℃の冷凍倉庫の中で仕事中凍傷にかかったこともある。「労災申請させてください」と言うと、「うちはそんなことしてないから。病院の領収書持ってきて。その分お金払うし、仕事も回すから」と言われた。

▼富山以外は親元に住んでいたが、富山のときはサラ金に手を出しトータル200万円以上にふくらんだ。給料は食費と休日の娯楽ですべて消える。実家に帰る交通費1万6千円がなくてサラ金から借りるしかなかった。サラ金からの請求は、派遣元が借り上げたアパートに住むほとんど全員に来ていた。大手サラ金はもちろんヤミ金の取り立てもあった。私も体だけで逃げた。うつ病になって地元に帰った者もいた。

▼男女交際にも積極的になれない。相手に借金の苦労させることになるから。

 聞きながら怒りがこみ上げてきました。まるで『女工哀史』の世界です。一度踏み入れたらなかなか抜け出すことのできない蟻地獄のような登録型派遣をこのまま放置することは許されません。規制に向けて私も力をつくしたい。

photo 午後、東大阪市長選挙最終日の応援。街角でたくさんの創価学会員と見られる青年が「共産市政ストップ」のプラカードを持って立っています。しかし、私たちの宣伝カーには、見ず知らずの方が家の中から出てきて、「こんどは長尾さん」「「市民の選んだ市長をかってに不信任とはおかしい」と口々に言ってくれます。民主主義は死なず。最後まで市民の良識に働きかけて必ず勝ち抜きましょう。

 夜は、大阪の郵政労働者との懇談。20人以上が集まってくれ、民営化後の職場の実態や、ゆうメイトの未権利状態などをリアルに教えてもらいました。



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