2007年10月26日
朝、雨上がりを確認して3男大輔といっしょに保育所へ。鉄棒に逆さまにぶら下がる「こうもり」の技を見せたかったようです。一発で決まり得意満面。「すごいなあ」とほめてやるとうれしそうに「いってらっしゃい」と見送ってくれました。そのまま新幹線で上京。 午後、議員会館の部屋で「日雇い派遣労働等の現状と問題点」について参院調査室からレクチャー。事実は何よりも雄弁です。派遣労働が「原則自由化」された1999年、派遣労働者の数は107万人。その後急増し2005年には255万人になります。そのうち登録型派遣が89万人から193万人に増えています。 派遣労働には、派遣元から毎月一定の賃金が支払われる「常用型」と、派遣先で仕事をした時間だけ賃金が支払われる「登録型」とがありますが、この間大きく増えているのは不安定な「登録型」です。先日聞いた大阪の「青年雇用アンケート」の結果をみても、この登録型派遣が、若者のワーキングプア、「ネットカフェ難民」への入り口となっています。 来年の労働者派遣法「見直し」を控え、いま労使双方の意見が真っ向から対立していますが、若者をモノのように扱い使い捨てる社会に未来はありません。自分たちの目先の利益だけを追い求める財界の品位も節度もない要求(派遣労働の完全自由化)に、若者たちの夢と希望と人生を対置してブレーキ(登録型派遣、日雇い派遣の規制)をかけたいと思います。
その後、全国災対連(災害被災者支援と災害対策改善を求める全国連絡会)がとりくんだ「被災者生活再建支援法」抜本改善を求める国会議員要請行動集約集会に参加。阪神・淡路大震災は私の国会活動の原点です。「私有財産制の国では個人の財産は自己責任が原則」という当時の村山、橋本首相の冷たい冷たい答弁に対し、「政府がやらないのなら立法府たる国会が被災者といっしょに法律を作ろう」と超党派の議員で勉強を重ね、参院に法案を提出。これが政府・与党を追いつめて現在の支援法ができました。 現行法は、住宅本体への支援金支給は認めないという致命的欠陥を持っていましたが、この間の災害被災者の実態と運動が大きな力となって、このたび、与党、民主党、日本共産党、社民党が、住宅本体に支給を拡大することで一致。画期的な前進です。なんとしても法改正として実るようがんばりましょうと、高橋千鶴子・党災害部会長とともにあいさつ。いまも阪神・淡路大震災の被災者支援にとりくむ皆さんを、再び国会で迎えることができ感無量でした。 集会を中座し、新幹線で神戸へ。夜、兵庫の郵政労働者から郵政民営化で何が起こっているか聞き取り。ひとつの局舎の中が、「郵便事業会社」、「郵便局会社」、「ゆうちょ銀行」、「かんぽ生命保険」と4社に分かれたことによる矛盾や不合理、「仮眠ベッドが5分の1に減らされた」など労働環境の悪化がよくわかりました。