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62年目のヒロシマの日 宮本顕治さんのこと

2007年08月06日

photo きょうは62年目のヒロシマの日。自宅から最寄の駅で、「野崎駅周辺九条の会」のみなさんといっしょに早朝宣伝。たった1発の原子爆弾によって、14万人もの命がその年のうちに奪われ、いまもなお多くの被爆者が放射能による健康被害に苦しんでいます。核兵器と人類は絶対に共存できません。

 通勤・通学の人びとが私たちの訴えに耳を傾けてくれ、ビラをとり、核兵器廃絶を求める署名にサインしてくれました。草の根の平和運動ってほんとうに大事ですね。8時15分、黙祷。蝉の声を聞きながら、子どもたちの未来に核兵器は要らない、憲法9条こそ無傷で残したいと誓いました。宣伝中、何人もの方が「おめでとうございます」と声をかけてくれました。うれしいことです。

 上京し、午後、故宮本顕治・元日本共産党中央委員会議長の葬儀に参列。戦前の暗黒時代にあって、天皇制絶対権力による侵略戦争と専制支配に反対し、獄中の12年間も節を曲げず不屈にたたかいぬいた宮本顕治さん。評論家の加藤周一さんは、「宮本さんは反戦によって日本人の名誉を救った」と書かれました。

 戦後も、50年代の党分裂、60年代のソ連および中国の毛沢東派という二つの大国の共産党からの干渉攻撃など、日本共産党の危機に際して、宮本顕治さんは、党の統一を回復し、日本の運動に対する大国の干渉を許さない自主独立の路線と、日本社会の民主的変革の道筋をしめした日本共産党綱領を確立する先頭に立ちました。

 剛毅強靭かつ人情味あふれる革命家、宮本顕治さんとは、宮本さんが議長時代の晩年、90年代の前半に中央委員会総会などで何回かごいっしょしました。赤旗まつりで私が河内音頭を踊るのを見て「山下君なかなかうまいじゃないか」とほめてくれたこともあります。

 しかし、なにより青年時代、宮本さんの講演や著作などから日本共産党員としての生き方を学んだことが、私が人間として歩むうえで決定的な道しるべになったと思います。就職や結婚、日本民主青年同盟の専従者になるときなど、悩んだり困難にぶつかったりしたときには、いつも心のなかで宮本顕治さんと相談していたように思います。

 じつは先の参院選挙中も、最終盤の休憩時間に「宮本顕治対談集」を読みました。40年代から70年代にかけての対談でしたが、歴史の発展方向に揺るがぬ確信をもつその大局観にふれ、でんと肝を据えて選挙戦をたたかいぬくことができました。

 あらたな激動の政治情勢に入ったいまこそ、宮本顕治さんの大局観が光ると思います。ご遺志を受け継ぎつつ、時代を切り拓く気概を発揮してがんばりますと、ユリの花をささげました。

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