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滋賀県日野町で「戦艦大和」の元乗組員にお会いしました

2007年05月20日

photo 滋賀県へ。滋賀県商工団体連合会(滋商連)の総会であいさつのあと、はじめて訪ねる日野町、何度も訪ねた近江八幡市で宣伝、訪問活動。きょうも感動的な出会いがたくさんありました。

photo 「売り上げが減った」53%、「申告所得200万円以下」49%という厳しい経営環境、「売掛金を差し押さえられ、月末の支払いができない。このままでは倒産してしまう」など税務署の徴税攻勢…。滋商連の運動方針案は中小業者の実態がよく分かるものでした。それに対し、みんなで不当な税務調査をはね返し、「会員のお店拝見ツアー」や「住宅リフォーム制度存続」など経営改善、仕事起こしにとりくむ民商は中小業者の心づよい味方です。坪田いくお参院滋賀選挙区予定候補とともに連帯のごあいさつ。

photo 「憲法だけは守らねば…」。日野町の神清寺の前のご住職、若林憲秀さんの言葉には信念がこもっていました。「私も軍隊に入隊しましたが、妻も戦争で父をなくし口では言えない苦労をしました」「このところ毎日のニュースを見るのがいやになります。どうすれば改憲をくいとめられるのか…」という前ご住職。いま、地域の戦争体験者からの聞き取り、記録集の編纂に力を注いでおられます。ラバウル、硫黄島など激戦地での体験談もあるとのことでした。

 「こんなところまでようお越しくださいました」。突然の訪問だったにもかかわらず快く応対してくださった前ご住職。引退後は晴耕雨読の暮らしを考えていたそうですが、毎日のニュースがそれを許さないご様子でした。その前ご住職に、日野町に戦艦大和の乗組員だった方がいると紹介され訪ねることに…

photo 「戦争は絶対にあかん」「戦争は絶対にあかん」。戦艦大和乗組員の生存者、前宮正一さんは声を絞り出すようにして繰り返されました。壮絶な体験だったのでしょう。1945年4月、沖縄に向かって出発した戦艦大和。「どんなことがあっても大和に乗っていれば大丈夫」と思っていた当時19歳の前宮さんでしたが、出発後すぐに猛攻撃を受けます。あっという間に傾く巨艦。爆弾の直撃を受けた艦内でハッチを開けると、目の前に16歳の少年兵が血まみれで倒れていたといいます。

photo 3000人の乗組員が戦死、生存者はわずか260人でした。玄関には200分の1のスケールの戦艦大和の大きな模型、頭には碇マークに横線2本の大和乗組員の帽子…現在82歳の前宮さんはいまも大和の乗組員だったことを誇りにしておられます。しかし、戦争を美化する気持ちは微塵もないことが、体全体から伝わってきました。

 「貴重なお話をありがとうございました。前宮さんの体験されたことが、二度と繰り返されることのないように、私たちの世代がしっかり受け継いでがんばります。どうぞお元気で」と両手で固く握手。

 若林さんも前宮さんも初対面の私を招き入れ、思いを語ってくれたのはなぜか。「日本共産党」――じつは私の名刺に大きく書かれたこの文字を見るなり、お二人とも座敷に通してくださいました。反戦平和を貫いて85年、党の歴史の重みをしみじみと感じる出会いでもありました。対中芳喜日野町議が同行してくれました。ありがとうございました。

photo 「生きる道を探している」。近江八幡市の水郷地帯に広がる水田で、専業農家としてがんばっている大西さん、西野さんが開口一番にいいました。「このあたりに75軒あった農家がいまでは47軒になった。コメ60kg1万3千円では食っていけん」「FTAでオーストラリアから農産物がどっと入ってきたらどうしようもない。農業が好きやから先祖代々の田んぼを守ってきたが、次の代はおらん。稲作文化がなくなり国土も荒れる」「昔の城主は自分の国の食べものを確保することが第一だった。世界的食糧不足を目の前に、百姓を残していくことを考えるのか、どうするのか。3年もたてば見えてくる。『もう知るかい』とみんなが手放しはじめたら日本の農業は一気に崩壊する」…

 追いつめられた農民の言葉はそのまま大地の叫びにも聞こえました。スーパーに行けばいつでも豊富な食糧が並んでいるいま、食糧危機を身近に感じる人は多くはないでしょう。しかし、近い将来必ずやってくる危機を国民に適確に伝え、有効な対策をいまから打つことこそ、未来に責任を持つ政治ではないでしょうか。「安全で安定した食糧は日本の大地から」「やりたい人作りたい人はみんな大事な農業の担い手」――生産者価格の保障をはじめ、農業と農家を応援する政治への転換は“待ったなし”の課題です。

photo 「大津絵」のことをはじめて知りました。川崎益弘近江八幡市議と訪ねた石橋幸俊さんは、ご自宅のふすまやついたて、のれんにご自分で見事な「大津絵」を描いておられました。その昔、京都の仏絵師が大津に流れ、生活のために旅人相手に描いた絵が「大津絵」の始まりとのこと。一枚一枚に寓話があるそうです。趣味で始めた「大津絵」を、いまでは毎年地元の小学生たちに教えている石橋さん。地域で生まれた文化の力を感じました。

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