青年運動時代からの友人、“ゲンさん”こと坂元幸市さんの葬儀に参列しました。なんでこんなに早く…と悔し涙があふれました。
かざらない性格で、うれしいときはいっしょに喜び、楽しいときは豪快に笑い、まちがったときにはしかってくれる、そしていつも前向きだったゲンさんは、私たちの世代にとって”兄貴分”のような存在でした。自分のことより他人のことを気にかける人で、悩み多き青年たちのよき相談相手でもありました。
父親を早くに亡くし、家業の小さな工場を守るために、汗まみれになって働きながら、民青同盟大阪府委員会の事務所に毎日必ず顔を見せてくれました。そして、一人でも入れる労働組合、地域労組のリーダーとして、理不尽な扱いを受ける青年労働者たちを励まし、ともに学習し、たたかいを組織していきました。
私が参院大阪選挙区の議席を失ったあと、党本部でリストラ反対・雇用を守る闘争本部の仕事をしていることを知ったゲンさんは、わざわざ地域のリストラ・人減らしの実態調査報告書を送ってくれました。「がんばってや」の一言だけの手紙がついていたけど、気持ちは何百倍も伝わってきました。
いまふりかえると、私たちはゲンさんからたくさんのことを教えてもらったことに気づきます。でも、その恩返しをゲンさんに直接することはできなくなりました。青年時代から、ともにめざした一人ひとりの人間が大事にされる社会の実現へ、残されたものがあの時と変わらぬ情熱をもって、それぞれの持ち場でがんばり続けることが、私たちがゲンさんにできるただ一つの恩返しかもしれません。
「ゲンさん、ありがとうな。僕らのことをずっと見守ってや」。棺に入ったゲンさんの重さを両手で感じながら、最後のお別れをしたのでした。