2007年01月17日
ただいま17日午前4時ちょうど。きょうは阪神・淡路大震災から12年目の日です。いまから神戸・諏訪山公園での早朝追悼集会に向かいます。大震災は私の国会活動の原点ですので…。報告はまたあとで。
・・・遅くなりましたが、神戸に立った感想です。 ※ ※ ※ 今年の1月17日も、神戸の街に身を置きました。12年前のあの日に起こった阪神・淡路大震災が、私の国会活動の原点だからです。午前5時46分、諏訪山公園から見下ろす神戸の街は、そぼ降る雨に煙っていました。 死者6434人、住宅損壊60万棟――文字通り、戦後未曾有の大災害でした。あれから12年。被災地の空気を吸い、人々の声を聞きながら感じたことが二つあります。 ひとつは、被災者の生活の再建はまだ終わっていないということです。外から見た神戸の街は高層ビルが建ち並び、復興は完全に成し遂げられたかのように見えます。しかし、災害公営住宅では昨年だけで高齢者の「孤独死」が66人もありました。最激震地・長田区の人口はいまだ回復せず、地震から2ヵ月後、被災者の知らない間に都市計画決定された「再開発地区」の立派な商業ビルでは、商店主が重いローンに喘いでいます。「私有財産制の国では個人の財産は自己責任が原則」と冷たく言い放った政治の壁が、干支が一回りしてもなお被災者のくらしと営業の再建を困難にしているのです。 もうひとつは、様々な災害被災者の要求と運動が、少しずつではあるけれど政治を動かしてきているということです。阪神・淡路大震災の3年後、被災者のねばりづよい運動と世論に押されて、全壊世帯に最高100万円支給する法律ができました。私も直接かかわりました。その後、鳥取県西部地震を機に支給額が300万円まで引きあがり、中越大震災では住宅本体にも応急修理が適用されることになりました。住宅は単に「個人の財産」ではなく「人間の生存に不可欠な土台」だという考えが、災害被災者のたたかいのなかでじわりじわり広がりつつあります。 来年は、被災者生活再建支援法の再見直しがされます。被災地の心を吹き込むために、ぜひとも国会でその仕事にあたりたい――12回目のメモリアルデーに、神戸の土を踏みしめながら、静かに決意を固めたのでした。 ※ ※ ※ 17日は、早朝追悼集会(5:30)、早朝駅頭宣伝(8:00)、13回忌市民追悼式(10:00)、12年メモリアル集会(13:30)、小田実氏らの集会(18:30)と終日被災地で活動。堀内照文参院兵庫選挙区予定候補、大阪たつみ前参院議員と一緒でした。 堀内さんは、12年前、神戸大学の学生で倒壊した下宿のガレキをかきわけて学生を助け出した経験をもっています。ぜひとも被災地の代表として国会に出てほしい人です。