2007年01月11日
午前、「しんぶん赤旗」関西総局の記者・嶋田昇さん(57)の葬儀に参列。涙でお別れをしました。 嶋田さんは、4日付「しんぶん赤旗」の「崩れだした『解同』タブー」という特集に署名入りの記事を載せています。「解同」(部落解放同盟)大阪府連の委員長は、現職の民主党参議院議員・松岡徹氏ですが、その松岡氏が、1977年から88年まで、「大阪市職員」でありながら「解同」大阪府連の専従の仕事をしていたことを暴いた、力の入った記事でした。東京の党本部でその日から開かれた全国会議でも話題になっていました。ところが、その2日後の6日、嶋田さんは自宅で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。本当に残念です。 関西財界と政治との関係、同和行政を利権の温床にしてきた「解同」の横暴についてペンを取らせたら、嶋田さんの右に出るものはいませんでした。とくに「解同」問題は、一般紙はごく最近まで一切触れることがありませんでした。暴力、「糾弾」を恐れ、タブー視してきたのです。そこにペンを振るうには勇気と覚悟がなければできません。 そんな仕事をこなしながら、嶋田さんはいつもニコニコ、誰とでも人懐っこく接していました。みんなから「ぶーちゃん」と慕われていました。私も、青年運動時代からその笑顔に励まされてきた一人です。嶋田さんのご遺志を受け継ぐためにも、夏の参院選で必ず勝ち抜くことを誓いながら、棺に花を手向けました。
午後は、「商売繁盛で笹もって来い」の「えべっさん」にお参りの方に宣伝。今宮戎神社そばの党浪速区委員会は、毎年えべっさんの3日間、おでんと焼き芋を出して宣伝します。円山なおこ市会予定候補とともにマイクを握りました。おでんもおいしかった。
宣伝後、戎神社に参拝。福娘に着けてもらうお飾りにも高額と低額の格差が生じていると報じられていました。商売繁盛へ政治の転換は待ったなしです。えべっさんは耳が遠いので、ドラを叩いてお願い事を届けるのだそうです。
福島区の野田戎そばでは、清水ただし市会予定候補と宣伝。寒風にさらされながら3日間参拝客相手にロングラン宣伝しているとのこと。党議席奪還への気迫を感じました。
夜、大阪府後援会の旗びらきであいさつ。大阪各地から後援会幹部の皆さんが駆けつけてくださいました。カンパイの後、すぐ八尾市へ。八尾の党と後援会の決起集会に滑り込んで、30分、全国会議の内容をベースに力を込めてお話しました。小松ひさし府会予定候補、永井きみ子市長予定候補、杉本春夫、おち妙子、谷沢ちか子、田中ゆう子、内藤こういち、大野よしのぶ、ふかつ士朗の7人市会予定候補とともに、必勝の決意を固めあいました。