あったか連帯ウェブ---山下よしき
トップページへ メッセージはこちらからどうぞ サイトマップ 記事検索
特集
原点・山下よしき

新しい政治の流れ
演説・論戦・講演
活動
活動記録
いつも現場に
総選挙2003
プロフィール
ごあいさつ
略歴
ご案内
事務所のご案内
リンク集
新聞赤旗 日刊紙 日曜版
見本紙
購読

よしきからあなたへ

正森成二さん逝く 想い出とご恩に感謝します

2006年10月19日

 悲しい報せでした。尊敬する正森成二さん(元衆院議員)が亡くなりました。長い間、闘病生活をされていたので、いつかはこの日が来るとわかってはいたのですが、やはり悲しいです。

 正森さんの想い出、いただいたご恩はたくさんあります。私がまだ高校生の頃、テレビのブラウン管で、ロッキード事件の政商たちを証人喚問できびしく追求する姿を拝見し、「悪いことをしたら国会がちゃんと裁きを与えてくれるんだ」とスカッとした気分にさせてくれたのは正森さんでした。予算委員会の質問中、突然のハマコー委員長の反共暴言に対し、即座に、毅然と、節度を持って反撃した姿も忘れられません。「論客」「金権腐敗追及の第一人者」の言葉は正森さんの代名詞でした。

 93年、旧中選挙区での最後の衆院選。大阪1区の演説会で、私は正森さんの押し上げ弁士を務めました。「”選んだことに誇りのもてる政治家”、それが正森成二さんです」とキャッチフレーズを紹介しただけで、満席の会場からは自然に拍手が沸き起こりました。驚きでした。大阪1区の有権者は、心底そう思っていたのです。

 「論客」であるとともに、正森さんは「気配り」の人でもありました。92年、参院選の比例代表候補だった私は、その年のお正月、正森さんと一緒に住吉大社で宣伝を行いました。宣伝後、後援会のご苦労さん会の会場で、正森さんは保育園児だった私の長男と二男を見つけ、お皿におすしをのせて「はいどうぞ」と渡してくれました。妻とともに感激したことを覚えています。

 その年の参院選本番中のことです。ある演説会で正森さんと一緒に演説することになりました。正森さんから連絡がありました。事前に私の演説をテープで聞いたうえで、先に演説される正森さんの演説内容と、あとで駆けつける私の演説内容の分担を提案してくれました。当日、最後に駆けつけた私が打ち合わせどおりの内容(確かソ連崩壊後の「体制選択」論攻撃への反撃だったと思います)で演説をこなすと、正森さんは大きな目を細めながら「うまくいった、うまくいった」と喜んでくれました。

 95年の参院選で大阪選挙区の候補者となった私を励ますために、ご自宅に私たち夫婦を招き、食事をしながらご自身の豊富な選挙戦の体験談を聞かせてくれたこともあります。そして参院選挙本番の最終日、激しい雨が振る中、正森さんは自ら候補者カーに乗り込んでこられ、走行中ずっとマイクを握り締めて、「正森成二です。大激戦です。明日の投票日、大阪選挙区は山下よしきとお願いします」と訴え続けてくれました。おかげで私は初当選を果たすことができました。

 96年の総選挙から衆院選挙制度が変わり、旧大阪1区を離れて中国ブロックに”お国替え”された正森さん。「行かないでくれ」。旧大阪1区の地区委員長が男泣きするのを、「党の前進のために行かせてほしい」と自ら振り切っての決断でした。すでに体調もよくなかったのに、中国ブロックで党の議席をなんとしても獲得するために、無理を押して挑戦してくださいました。私も参院議員として広島まで応援に行きました。中国ブロックの皆さんの燃えるような奮闘もあり、正森さんは得票をうんと伸ばして当選。日本共産党は26議席に躍進したのでした。

 最後の最後まで、気高い理想を掲げ、人々のために、日本共産党のために、献身してくださった正森成二さん。誇るべき大先輩からいただいたご恩とご指導に、心より感謝をささげるとともに、そのご遺志を受け継ぐべく、微力をつくしたいと思います。ありがとうございました。

 

ぜひ、ご意見・ご感想をお寄せください
 
ひとつ前のページに戻る
特集
Copyright (C) YAMASHITA YOSHIKI All rights reserved.