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伯父の葬儀 若手専従者研修会で講演 京橋駅頭宣伝

2006年08月22日

 高槻の伯父の葬儀に参列。80歳で逝った伯父は、海軍に志願し、呉の軍港で終戦を迎えました。同じく海軍の潜水艦乗りだった、たった一人の兄は戦死しています。昨年の総選挙時に、その兄のことを初めて聞かせてくれ、「芳生君、憲法だけは変えさせんといてくださいよ」と懇願されました。

 戦後、伯父は大阪に出てタクシー労働者になります。労働組合の幹部としても活躍しました。「タクシー労働者が、コーヒーを安く飲めて疲れを癒せる、みんなが集まってくる会館が必要だ」と、伯父が責任者になり、各組合支部や労働者を説得して資金を集め建てたのが、浪速区にある「自交会館」です。理由あってその後組合活動から離れたようですが、葬儀には自交総連大阪地連の権田委員長から弔電が届きました。伯父もきっと喜んでいることでしょう。

 出棺を見送り、激しい雷雨の中を、旧知のTさん運転するタクシーに乗って、高槻から生駒の信貴山まで急行。党大阪府委員会主催の若手専従者・議員・候補者研修会で「日中理論会談と日本共産党綱領」と題した講演です。20代30代の若手専従者50人ほどを前に1時間あまりお話しました(写真は下に掲載)。

photo 講演を終えるとただちに電車に乗って京橋駅へ。大阪府日本共産党後援会の夕方宣伝です。中道幹事長、城東区の佐藤倫理府会予定候補らとともにマイクを握りました。終戦の日の小泉首相の靖国参拝を批判しながら、高槻の伯父のことが頭をよぎりました。「イ161号」という潜水艦の乗組員だった伯父の兄は、百数十人の仲間とともに潜水艦もろともマレー沖の海に沈んだまま骨ひとつ還ってきませんでした。享年22。さぞかし無念だったでしょう。日本が起こした戦争で犠牲になった日本人310万人、アジアの人々2000万人の中の一人です。

 伯父と伯父の兄のことも紹介しながら、私たち戦争体験のない世代が、過去の侵略戦争の事実を知ろう、そして二度と再び過ちを繰り返さないよう、憲法9条を守ろうと訴えました。伯父の思いと私の思いが重なりほとばしったのでしょう。通行人が一人また一人と足を止めて聞いてくれました。演説を終え、こちらをチラチラ見てくれていた金髪の若者たちのグループに「なんかわかることあった?」とたずねると「もうバッチシ。9条やろ?」との返事。よかった。兄のところへ旅立った伯父への最高の手向けとなりました。

photo

 写真は若手専従者研修会の様子。「日中の理論交流は今後も続くが、いちばん大事なのは日本で社会進歩の事業を前進させること。来年の二大選挙で日本共産党の議席を増やすことが、世界の人々を励ます大きな貢献になります」と結びました。

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