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北京3日目 故宮を見学し、第一級の研究者、専門家と交流しました

2006年05月24日

photo 北京での3日目。午前中は自由時間。中国側の通訳でもある中連部の沈建国さんに案内してもらい故宮を訪ねました。

photo 故宮は、明、清の時代に皇帝がいたところです。天安門をはじめ、いくつもの門をくぐると、皇帝の執務室だった「殿」や、住まいだった「宮」が現れます。東西南北に四角く作られた広大な敷地に、レンガ造りの塀や木造の建造物、石造りの通路などが、左右対称に並ぶこの場所こそ、かつて中国を500年にわたって治めた中心地です。午後の理論交流では、きっと未来社会論が交わされるでしょうが、その前の2時間あまり、私はこの国の過去へと思いを巡らせることができました。

photo 午後は、中国のマルクス主義研究者、専門家の皆さんとの理論交流です。北京大学教授や中国社会科学院副院長、中央党学校教授などそうそうたるメンバーが23人も出席されました。「不破同志は、日本の有名なマルクス主義研究者で、原点にも詳しく、自分の著書も37種類あります」との超西明さんの紹介に続いて、不破さんがあいさつと日本共産党の自己紹介。

 不破さんは、1950年に、ソ連のスターリンが中心になって、日本共産党を分裂させ、その片方に武装闘争を押し付けて、日本の運動に大きな混乱をもたらした「50年問題」に触れ、その最も重要な教訓は「自主・独立」だったと強調しました。それ以来、日本共産党は、どんなに過去に革命の成功をもった党であっても、日本の革命の方針に立ち入る権利はない、革命の指導理論そのものも、外国から借りてくるのでなく自分たちで作る必要がある、という「自主・独立」の路線を一貫して党の政治理論の根底においてきました。1960年代にソ連のフルシチョフがまた新たな干渉をしてきましが、この立場で完全に粉砕しました。続いて中国との間の不幸な問題も起こりましたが、同じ立場で対応しました。1991年、ソ連が解体した時に、こういうソ連覇権主義の害悪を経験していたので、「これは世界の発展に役立つ」という見解を発表しました。

 不破さんはこうしたことを述べたうえで、「先ほど超西明さんは、日本共産党との理論交流は中国にとっても有益だといわれたが、それは50年間の自主的な実践と探求の産物だったと理解してもらうためにあえてこの点を紹介しました」と結びました。思わず涙が出そうになりました。私たちの綱領路線は、決して机の上で書いたものでもなければ、外国からの輸入品でもありません。20世紀の巨悪との生死をかけたたたかいのなかから、先人たちがつかみとった路線なのです。そのことを、私たちの世代がしっかりと胸に刻まなければなりません。

 続いて、昨日の打ち合わせどおり、まず中国側の研究者を代表して、李慎明・中国社会科学院副院長が質問されました。質問の数は全部で7つ――@我々はいったいどんな時代にいるのか、レーニンの時代に対する定義と対比して、Aソ連崩壊の本質的、根本的原因は何か、B21世紀の世界の社会主義の展望は、C社会主義の道を実現するために、発展途上国と先進国にはどのような道があるのか、D社会主義と市場経済との関係はどのようなものか、E日本共産党の綱領の最高目標と最低目標はなにか、F毛沢東同志に対する評価は――でした。

photo どれも大きな問題ばかり…いくら不破さんでもこれは大変だな…と思っていたのですが、心配は無用でした。「それぞれに論文をかけそうな問題ばかりですが、簡潔に答えます」と前置きして、不破さんは一気に7問すべてに答えてしまいました。時間にして約25分間(通訳の時間は除く)。その間、ノートもメモも一切見ないで、相手の顔を見ながらスラスラ答える不破さん。途中、「次の質問は何だっけ?」と隣の緒方さんに聞いていましたが、しゃべりながら答えを考えるという離れ業には驚きました。

 7つの答えすべてが非常に内容の濃いものでしたが、とくに私は、いま中国やベトナムがそれぞれのやり方でとりくんでいる「市場経済を通じた社会主義」が、遅れた国だけの道だとは思わない、との不破さんの指摘が新鮮でした。たとえば、日本のような国で、将来、社会主義をめざす政権が生まれたとします。そこでは、資本主義市場経済が支配しています。そこで、市場経済を廃止することから社会主義経済を実現することができるでしょうか?そんなことができるはずはありません。そこで社会主義をめざす国づくりを始めようと思ったら、資本主義市場経済の中で、社会主義経済の分野をつくり、それが、資本主義市場経済との競争に打ち勝って、社会主義を実現する以外に道はありません。

 そうした点を強調し、不破さんは、「ですから私たちは、あなた方の“市場経済を通じた社会主義”について、他人事とは思わないで、かなり遠い将来でしょうが、自分たちの問題として強い関心をもって見ています」と結びました。なるほど、そう考えると、いまの中国の国づくりの探求と努力がぐっと身近な問題に思えてきます。その内容をもっとよく知りたいと思えてきます。
 

photo 不破さんの“一気回答”の後、15分間の休憩に。李慎明さんは不破さんに近づいて、「7つの答えで日本共産党の考えがよくわかりました」と声をかけていました。「それはどーも」と不破さんもニッコリ。こうして休憩時間にあちこちで交流の輪が広がりました。(写真右が李慎明さん。社会科学院の『世界社会主義研究報告書』を不破さんに贈呈してくれました)

photo じつは、私にも感激的な出会いが…。ナント、中国側の研究者のなかに、私を知っているという方がいたのです!社会科学院マルクス主義学院常務副院長の程恩富さんです。程さんは、90年代に大阪市立大学に留学されていたそうで、「そのとき、あちこちに貼ってあったあなたのポスターを見ました」とおっしゃるのです。95年の参院大阪選挙区選挙に向けたものだと思います。あの時は大阪府下で10万枚もの「山下よしき」ポスターが張り出されたので印象が強かったのでしょう。それにしても、直接お会いしたわけでもないのに、10年以上も前のポスターの顔写真を覚えてくださっていたとは!もう、びっくりするやらうれしいやらで、思わず握手を交わし、いっしょに記念写真をとっていただきました。

 いっぺんに打ち解けた程恩富さんは、私にいくつかの質問をされました。

程「ソ連の崩壊は、世界にとってプラスとマイナスのどちらが大きいと思いますか?」
私「プラスが大きいと思います」
程「私有財産も否定しているのですか?」
私「生産手段と国民の生活手段は区別しています。社会化するのは主要な生産手段だけです」
程「それはマルクス主義の原理と同じですね。生産手段の社会化は綱領に書いてあるのですか?」
私「未来社会の章の第一番目に書いてあります」
程(大きくうなづきながら)「共産主義社会では市場経済は残すのですか?綱領ではどうなっていますか?」
私「なくなるとは書いていません」

 と、ここで休憩時間が終了。程さんは穏やかな笑みで「謝謝」。ほんの短い時間でしたが日中両共産党間の理論交流の一端を直接担えたことはとても良い経験になりました。程恩富さんに感謝です。

photo 休憩後、不破さんと研究者の間で、さらに突っ込んだやりとり(どこまでを社会主義社会への「過渡期」と見るか、「プロレタリア執権」について、70年代のユーロ・コミュニズムについて、など)がありました。真剣に、ときにニコニコしながら交わされる質疑の様子に、歴史も立場も違うけれど、科学的社会主義(マルクス主義)という共通の理論を土台に活動する者同士の、心の通い合いを見るようで、とてもうれしくなりました。

 中国共産党側からも「マルクス主義理論の研究と建設プロジェクト」の2年間の到達点が説明されました。私が注目したのは、中国共産党中央編訳局長のイ・ケンカさんが語ったマルクスの古典の中国語訳作業です。これまで中国で流通してきたのは、ソ連共産党のマルクス・エンゲルス全集の訳版で、当時の研究レベルの限界からかなりの手直しが必要だといいます。今回は、マルクス、エンゲルスがドイツ語で書いた原典からあらためて訳すそうです。来年にはマルクス、エンゲルスの重要な著作を10巻の文集にして出すとのことでした。中国の理論研究プロジェクトが、いかに構えた、本格的なものかを示す話だと思います。

photo 夜は、中国共産党中央宣伝部(理論問題を扱う部門。今回の理論研究プロジェクトをコーディネートする仕事もしているようです)のラク部長との夕食懇談会。不破さんから、プロジェクトに関する突っ込んだ質問も出され、とても有意義な懇談会となりました。(写真は、夕食前の懇談)

photo きょうもとっても充実した1日でした。ホテルの部屋で理論交流のおさらいです。

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