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「シベリア抑留展」で元抑留者の方々の体験を聞きました

2006年05月05日

photo 午前中、大阪市内で開催中の「シベリア抑留展」(主催:シベリア抑留者未払い賃金要求の会)にお招きいただきました。第2次世界大戦終結後、旧ソ連によってシベリアに連行され強制労働させられた日本人(軍人だけでなく民間人もいました)は約60万人。そのうち約6万人が、極寒のなか、飢えや病気、過酷な労働のために亡くなりました。

 あきらかにポツダム宣言違反の行為ですが、いまだに元抑留者への補償はなされていません。国際法上、捕虜として抑留された国で働いた賃金は、帰国時に証明書を持ち帰れば、その捕虜の所属国が支払うことになっています。しかし、旧ソ連政府は抑留者に労働証明書を発行せず、日本政府も支払わないまま推移、この問題は「戦後処理問題としても決着済み」とされてきたのです。

photo 未払い賃金要求の会の林明治代表が会場を案内してくれました。収容所での生活を描いたスケッチや遺品が展示されていました。零下40度の極寒、粗末な食事のうえに、抑留者には、荷揚げ(栄養失調の身体に30`40`の荷は重い)、道路工事(地面は凍って石や鉄のように硬い)、伐採作業(太い白樺の木を切り、深い雪道を背負って帰る)など過酷な労働が課されたことがわかります。

photo 元抑留者や遺族の方との交流の場もつくっていただきました。ぜひ当時の様子をお聞かせくださいとお願いすると、元抑留者の方から次々にリアルな話が語られました。「4年間人間の扱いでなかった。食べるものも食べられず、朝起きたら隣の人が死んでいる」「夕食はマッチ箱位のパンと6人で1匹のニシン、朝食は高粱か粟のかゆが飯ごうのふたに1杯。作業に行きながら死ぬ者もいた」「松の木の皮をはいで煮て食べた。日本人同士で食料を盗みあうなど、地獄の餓鬼道に堕ちた」「防寒外套は寝てもさめても離せない。死んだ人のも取った。だから遺体は皆フンドシひとつ」「3年間下着も着たきり。もらった覚えはない。体力の弱った者はシラミが服の上まで這い出ていた」「同胞が亡くなっても墓穴も掘れない。時間も与えられないし、地下1.5メートルまで凍土だから。木の上でイワシのように並べて遺体を焼いた」

photo すさまじい話でした。まさに人間として扱われなかったということです。同時に、シベリア抑留前の戦争中の行為に対する告発と反省も語られました。「司令官が、満人の背中に日本刀を突き刺し、首を切り、ドスで止めを刺した。息をするたびに血が噴き出すのを目の前で見たが、そのときはなんとも感じなかった」「耳をそぎ鼻をそいで殺したという話も聞いた」「戦争になったら条約とか約束とかは役に立たない。勝つか負けるかだ」。そして皆さん口々に「戦争はしたらいかん…」と。

photo 私は、貴重な体験談に感謝を申し上げるとともに、92年以降、ロシア政府も労働証明書を発行するようになったのだから、これにこたえて日本政府も賃金を払うべきであること、そのために、国会に、野党3党共同で「シベリア抑留者補償法案」を提出したことを報告。これは人道問題であり、二度と戦争の悲惨を繰り返さない決意の証でもあると述べました。

 皆さん大きくうなづきながら聞いてくださり、「我々には時間がない。皆80を超えている」「法案を早く可決してほしい。遺族に対しても補償してほしい」との強いご要望をいただきました。しっかり受け止めて取り組みたいと思います。

photo 午後は、堺市の新金岡団地で、宮本たけし前参院議員、岸上しずき大阪府会議員とともに宣伝。20、21日と開催される大阪赤旗まつり(堺市大泉緑地公園)のご案内もかねて、「こどもの日」のきょう、憲法と教育基本法を改悪し、再び子どもたちを戦場に送る動きにストップをかけるために力を合わせましょうと訴えました。
 

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